浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



日本橋・弁松の弁当

dancyotei2008-05-07

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5月5日(月)第1食


またまた、日本橋
実は、先日の、そばよし、の、続き、なのである。


路麺の、そばよしは、経営が鰹節問屋。
それは、ここが、昔、魚河岸であった、ということと、
大いに関係があり、その頃から、ここで、
鰹節問屋をしていたのであろう。


昨年出した、江戸の地図。





江戸の頃の○○河岸、とは、場所によって陸揚げする物が決まっている
ところも多く、その物資によって、名前が付いていたところもある。


日本橋川、江戸橋から、日本橋の間の北岸は、舟で運ばれた魚が
陸に揚げられる、文字通り、魚河岸、で、あった。


そして、河岸の北側の一画には、その魚河岸に関係する商売が、
軒を連ねていたのである。


今でもここにある、有名どころでは、
鰹節のにんべん、海苔の山本海苔。


そして、もう一つ、弁当の弁松。
存在は知っていたのだが、食べた事はなった。
濃い味の日本橋の昔の味、そんなものなのであろうか。


そばよし、のついでに、食べてみようか、であった。


弁松の創業は、嘉永3年(1850年)。


幕末、で、ある。
ペリーの来航がその3年後の1853年。
ちょうど、今やっているNHK大河ドラマ、「篤姫」の頃。
夫となる、家定が将軍になったのも同じ、1853年。
篤姫はまだ、薩摩にいた頃であろう。


ともあれ、弁松がこの魚河岸そばで開業した当初は、
食事処であったらしい。
忙しい魚河岸の人々のために、食事を“折(おり)”に入れ、
持ち帰れるようにした。
これが、そもそもの折詰弁当の始まり、という。


今、この弁松本店は、日本橋本町二丁目。
江戸橋よりは、少し、神田寄り。
今でも、ここで作っている。


ここでも買えるようだが、祝日はやっていない。
日本橋三越の地下に入っている。


10時すぎ、家を出て、車で向かう。


きてみると、お惣菜として、単品で買うことも
できるようになっている。
ちょっと見ると、この惣菜も、しょうゆ色。
やはり、味が濃そう、で、ある。


弁当も、料理だけの折も、随分と種類がある。


買ったのは、白詰という名の、白飯付きの弁当と、
たこの桜煮、が、名物のようなので、
それが入っていそうな、江戸の味、という、
料理だけの折。


腹も減っているので、急いで帰宅。





白地の包装紙は、さっぱりとして、気持ちがよい。



開けてみる。





これは、江戸の味。1890円也。



本物の経木(きょうぎ)、で、ある。
ここの弁当、折、ともに、今でも、すべて、経木を使っている。


内容は、


メカジキ照焼、玉子焼、かまぼこ、
甘煮(つとぶ、はす、さといも、たけのこ、
ごぼう、しいたけ、人参、青身)、
穴子八幡巻、ほたてしぐれ煮、コンニャク、
つくね、イカ焼、たこの桜煮、助子、海老。


(下記、ホームページから転記)


この、赤いというのか、しょうゆで煮〆た色。
やはり、東京の食い物の色は、こうでなくてはいけない、
などと、思いつつ、、


ビールを開けて、食べてみる。


うわ、あまい、、、。


なるほど
見た目通り、味が濃い、のだが、甘みも、そうとうに強い。


どれが、ではなく、里芋も、たけのこも、
どれもこれも、すべて、で、ある。


しかし、そうはいっても、
これは、これで、妙にクセになる味。
不思議と、ビールに合う。


ご飯の入っている弁当の方は、内儀(かみ)さんが食べたので
私はわからないが、飯にもむろん合うであろう。


濃い味ばかりをいっているが、
材料の切り方、煮方、などなど、それぞれ、
丁寧な仕事をしているのも、わかる。


そして、先に書いた、名物、という、たこの桜煮。
これはぜひとも、書いておかねばなるまい。


たこは柔らかい、が、
もしかすると、これはこの中で、最も甘い。
たれに絡んでいるのだが、このたれは、
鮨やの、例の、穴子にかける甘いたれ、ツメ、
程度であろうか、これがたっぷり。
いや、べっとり。



それから、もう一つ。
甘煮(うまに)に入っている、つとぶ、というもの。
これはなんであろうか。
生麩、とも違うものであろうか。
食感などは、ほぼ、生麩に、近い。


ちょっと調べると、築地にある角山
というところのもののよう。知らなかった。
つとぶ、とは、江戸からある、東京の生麩、ということである。
やはり、生麩、であった。
ちなみに、この店は、震災後、大正の創業らしい。


ともあれ、このつとぶ、が、うまいのである。



さてさて、弁松の折、まずは、こんなところであろうか。




毎度、食は文化である、と書いている。


この場合の食とは、古今東西、和洋中、材料やら、調理法やら、
様々あるが、今日は“味覚”、“味付け”、
という側面について、で、ある。


しょうゆが濃いのは、江戸、東京のスタンダードな味覚。


私の家など、東京でもあまり育ちのよい方ではない。
だからであろう。しょうゆは強いが、煮ものにしても、
甘みは押さえ、親父などは、砂糖はおろか、
みりんも入れさせず、酒のみで、あった。


この甘さは、弁当だから、日持ちがするように、というのも
あったであろうが、東京でも、日本橋、の、
それも、よそいきの、昔の味。


うま煮に、甘煮、という漢字をあてる。
甘いものは、うまいものであった。
甘いものが貴重であった頃、これは、江戸・東京に限らず
日本全国、昔は、贅沢なもの、よいものは、みな、甘いものであった、
のであろう。


弁松の味付けは、その名残。
取りも直さず、これが食文化、で、ある。




弁松