浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



團菊祭五月大歌舞伎 その3

dancyotei2016-05-16



引き続き、五月大歌舞伎。



昨日は、二つ目の「三人吉三」。



今日は三つ目の「時今也桔梗旗揚
(ときはいまききょうのはたあげ)」。


その前に弁当を。


日本橋[弁松]。


おかずは同じだが、こっちがたけのこ飯。





そして、たこ飯。





日本橋[弁松]は160年ほど前、というから、
嘉永安政の頃、日本橋魚河岸の創業で、
折詰弁当の元祖ともいわれる大老舗。
以前は、歌舞伎座の中に入ってたと池波先生も書かれていた。


いつもは白飯か赤飯なのだが、さすがに、乙ではないか。
そして、うまい。
こういう季節のもので仕立ててくれると、
うれしいものである。


さて「時今也桔梗旗揚」。


毎度のことながら、歌舞伎のタイトル、外題、
あるいは名題というが、音を聞くと現代人でもある程度
理解はできるが、字ずらだけではまったくわからない。
(桔梗というのは明智家の家紋。)


この芝居は、以前から観たいと思っていたものである。


ご存知の通り、明智光秀は主人の織田信長に謀反、
京の本能寺に襲い、討ってその後、秀吉の中国大返し
天王山で敗れ、三日天下などと言われるわけである。


「敵は本能寺にあ〜〜り!」という光秀のセリフはドラマ等で
もはや決まりのものになっている。


だが、こんなものが歌舞伎になっている、というのは、
ほとんどの人は知らなかろう。


文化5年(1808年)初演。


作者が驚くではないか、鶴屋南北


南北作品は、昨年暮れに「四谷怪談」を観ている。


黙阿弥先生よりも二世代ほど前、文化文政期の大作者。


歌舞伎の作者としては、黙阿弥先生と並び称される。


だが、この時も書いているが、現代において上演されるものは
黙阿弥先生と比べると、いかにも少ない。
むろん、作品はたくさんあるのに。


この作品は戦後も定期的には演じられており、南北作品としては
珍しいといってよいだろう。


「時今也桔梗旗揚」、通称は「馬盥(まだらい)の光秀」。


二幕のダイジェスト。


信長の前でいじめられる光秀と、その後謀反を決心するまで。


光秀が松緑


ちなみに、私はちょっと期待していたのだが、
かの「敵は本能寺にあり」のセリフは出てこない。


耐えて耐えて、堪忍袋の緒を切って、、、という耐える光秀を
みせる芝居、と、いうことになるのであろう。


これに対して、信長の方。
歌舞伎では実悪(じつあく)などというが、
憎ったらしい完全な悪者。


信長を完全な悪者にしてしまうのは、
現代的には、ちょっと意外である。


現代において、信長というのは、
人気があるといってよいだろう。
むしろ、光秀の方が、血迷って馬鹿なことをしてしまった人、
という評価なのではなかろうか。


日本人の判官贔屓?。
江戸期には光秀の方が人気があったのであろうか。


この光秀の評価、評判があたり前であったのなら
いつから信長の方が人気者になったのか、ということが
気になってくるが。


芝居とすれば、信長をいかに実悪として表現するか。


これに対する光秀の、耐える姿をどう演じるのか
次第で、この芝居が魅力的になるのか、否か、が決まるのであろう。
従って、役者の力量がとても大切になってくると
思われる。


初演の頃からこの二人の演じ方は、伝承されてきたようで
現代では吉右衛門などに受け継がれているという。


なるほど、吉右衛門であればさもありなん。
やはり、あれだけの存在感のある役者でなければ説得力は
生まれなかろう。


光秀というのはやっぱりちょっと情けないのである。


吉右衛門が演じれば、十分な存在感があって、
情けなくはならなそうである。


それで今回の松緑がどうだったのか。
無難には演じていたとは思うのだが、光秀を魅力的に
見せるには、もう一つだったのではなかろうか。
まだ41歳、これから期待。








つづく