大田蜀山人
1月17日(木)夕 夕方、上野の蕎麦や[翁庵]。 ちょっと久しぶりであろうか。 もうなん年も通っているが、いつきても変わらない。これがいい。 ほぼ上野駅前。浅草通りに面し、上野警察前。 毎度出している江戸の地図も出してみよう。 現代の地図も。 だい…
さて。 今日は昨日のつづき。 大田南畝先生が、呉服橋の茶屋長意なる幕府の呉服所を 勤める豪商、茶屋四郎次郎家の旦那と思われる人物、のところへいった、 という話で、あった。 ここから、マニアックなところに入っていくのだが、 ちょっと、引っ掛かった…
1月27日(水)夜 さて。 このところ、仕事では、資料調べが続いており、 今日も、大手町。 6時に終わり、久しぶりに、日本橋の蕎麦や、 やぶ久へ寄ってみることにする。 大手町、永代通りからJRをくぐって、呉服橋交差点へ。 先週も、少し温かい日があっ…
6月3日(水)夜 今日なども、随分と暑かった。 それも原因であったのだろうが、 無性に今日は、池之端の藪蕎麦へいきたくなった。 今、一番私がくつろげる蕎麦やが、ここ、である。 なん度も書いているが、店構えから、中の雰囲気、 注文を通す声、はしらわ…
今日は昨日の続き。 蜀山人大田南畝先生の後半生とその人生について考える。 ************* ■第一回「学問吟味」受験。屈辱の落第。 寛政四年、南畝先生四十四歳の年である。 松平定信は、寛政の改革の一環として、幕臣の人材登用のための試験 …
先日書いた、筆者が妙に惹かれる大田南畝。 もともとは、「恐れ入谷の鬼子母神・・」が大田南畝の作である、 ということを確かめるために調べ始めたのだが、 調べていくうちにもっともっと、南畝先生のことが、 知りたくなってきた。 そして、「蜀山人 大田…
さて、今日は昨日の続き。 と、いっても、鴨の続きではない。 蜀山人、のことである。 例の課題は、まだわかっていないのだが、 なにかやはり、この人ちょっと、おもしろいのである。 まだまだ調べ始めたところであるが、 少し書いてみたい。 蜀山人の研究書…
2月25日(日)夜 午後、稽古がてら、調べ物(蜀山人)があったので、 台東区の中央図書館へ徒歩でいく。 合羽橋道具街通り(新堀通り)、言問い通りの手前。 (ここの一階には、池波正太郎記念文庫があるので有名。 先生の蔵書や、再現された書斎がある。 フ…