
引き続き、福井。
永平寺バス停で降りて、境内まで少しある。
よい天気。ゆるい坂道で、真っ直ぐの石畳の参道。
次第に、太い杉など、うっそうとした深山の風情になる。
左に曲がり、見学用の入口へ。
拝観料を払い、靴を脱ぎ手に持ち、入る。
よく大きなお寺は、比喩的に七堂伽藍というが、禅宗の場合
文字通り、七つの建物をいうよう。
山門、仏殿(ぶつでん)本尊をまつるお堂、法堂(はっとう)
説法を行うお堂、僧堂(そうどう)修行僧が坐禅・睡眠する場所、
庫院(くいん)台所や寺務所、東司(とうす)トイレ、浴室。
漢字の読みが一部独特なのがお分かりになろうか。法堂は、
ホウドウが普通の音読みだが、ハットウ。東司はトウシではなく、
トウスなど。これは日本の漢字の音読みは多くは漢音といって、
漢時代の読み。曹洞、臨済の禅宗の読みは唐音といって、
唐時代の読みが多い。禅宗が渡来した時期がこの時代だから。
ちなみに菓子、行火(あんか)、行灯(あんどん)、椅子
なども唐音である。椅子は、禅宗とともに入ってきたよう。
ともあれ、これら七堂が山の斜面に建っており、屋根と壁のある
完全に外界と隔てられた廊下と階段で結ばれている。
つまり、雨でもまったく濡れずに歩けるということである。
永平寺というと、周防監督、もっくん(本木雅弘氏)主演の
「ファンシイダンス」(1989年公開)を思い出す。けっこう
好きな作品。それでか永平寺は昔からなにか親しみがあった。
永平寺、山号は吉祥山、は、鎌倉時代中期、寛元2年(1244年)
道元によって開かれた。曹洞宗大本山。波多野義重という当時
幕府有力御家人の後援で彼の領地であった越前に造られた。
永平寺というのは、なん度も焼けており、建物では国宝はなく
七堂伽藍全体で重要文化財。一番古いのが山門で、寛延2年
(1749年)江戸中期。
これ。
青銅製で、叩いて音を出すもの。
雲版、うんぱん、というらしい。
食事の合図や朝の起床などなどの合図に使われる。
階段。
これは、木版、もっぱん、というらしい。
先の雲版は、そこで叩くが、木版は、担当の修行僧が
持って叩きながら、歩(走って)いて時刻を知らせる。
これが法堂と下の池。
この池に、おたまじゃくしがたくさん。
親(?)の声もゲコゲコ。
説法を行うお堂だが、畳敷。確か、修行僧の卒業試験の問答
などもここで行われている映像を憶えている。ちなみに、
曹洞宗では問答ではなく、法戦というよう。
一しきり難しいことを叫んだ後「なぁ~か、なか」などと
発していたのが妙に記憶に残っている。
やはりここ、お寺であり文化財ではあるが、実際の修行の場、
という印象が強い。質実剛健というのか、華美な装飾は
あまりない。
そして、もう一つ、気付いた。
禅宗のお寺というと、枯山水、石庭というのが思い浮かぶ。
が、ここには枯山水はない。一応、上の池の周りはそれなりに
きれいではあるが、枯山水でもないし、作り込まれた庭までは
いかないだろう。
本来は、禅宗のお寺は、観賞用の庭を造ってはいけなかった、
というのをなにかで読んだことがある。
調べると、それこそ初期の道元禅師の頃の曹洞宗。
ありのままの自然に仏が宿る、と。
その自然の中で壁に向かって座るので、庭は不要である、と。
が、室町から、戦国、江戸初期にかけて、段々にできている。
やはり臨済宗の方が庭には積極的で、室町期の臨済宗の
夢窓疎石が作庭の元祖で京都の苔寺が有名。石庭の代表格、
龍安寺も臨済宗。臨済宗はむしろ庭に禅の心を求め、その庭に
向かって座る、と。
そして、歩いてみて気が付くのだが、永平寺は意外に狭い。
例えば、禅宗より前の時代の奈良の東大寺や、京都の東寺
などはかなり広い。しかし、ここは山の中で階段と廊下で
結ばれており、我々が歩くのはたいへんだが、元気な
修行僧達が走り回るのにちょうどよい、のか。
一番古い、山門。
山門の扁額(へんがく)。
道元禅師の言葉だそう。
諸佛如來大功徳(しょぶつにょらい だいくどく)
諸吉祥中最無上(しょきっしょうちゅう さいむじょう)
諸佛倶來入此處(しょぶつともにおわして このところに入る)
是故此地最吉祥(これこのゆえに このちさいきっしょう)
かなを読むと、なんとなく、意味は分かろう。
最後の“吉祥”から、ここの山号、吉祥山がついた、と。
両側に二体ずつ、
反対側にももう二体、計四体の四天王像。
写真は、持国天、多聞天(毘沙門天)反対側は増長天、広目天。
ある程度、管理されているのか、江戸中期のものだからか
きれいな彩色が残っている。
東司。
とうす、トイレ。
もっくんが、とうす、の説明をしていたっけ。
道元禅師は、只管打坐(しかんたざ)、ただ座ること。
座禅がすべてであり、それすなわち、仏である、と、説いた。
庭の件もそうだが、やはり曹洞宗はストイック。
どこかに、曹洞宗の教えなのか、きれいな自然風景に
言葉が添えられたポスターが貼られていた。
細かい言葉は忘れてしまったが、人、他者への思いやりを。
すべての所作を丁寧に、大切に。自分と向き合う時間を
大切に、、。
なんとなく、襟を正される思い。
宗教というよりも、哲学にも感じられるほど。
ストイックな上に、具象ではなく、形而上、精神性というのか。
出てきて、参道を戻り、最初の食堂、というより
料理や?ちょっと小ぎれいな店。13時すぎ
文字通り、お寺の入口。[てらぐち]というところに入る。
つづく
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