
11月25日(火)夜
ポルチーニのおじや、を、書いていたら、
松茸が食べたくなったのである。
考えて、思い付いたのが、神楽坂のうなぎや、志満金。
以前にここで、土瓶蒸しを食べたことがあった。
休み明けの火曜日。
8時頃、仕事を終え、牛込市谷のオフィスを出る。
オフィスから、神楽坂まで歩く。
納戸町、牛込南町とお屋敷町を抜け、袋町。
住宅地の路地、坂を降り、クランクに曲がり、
若宮町。
ここの八幡様は今は小さいお社(やしろ)だが、
昔はもっと大きかったようである。
(江戸の頃の地図)

左に曲がり、次の路地を右。
この路地は、右にカーブし、いつのまにか神楽坂に
並行し、坂を下りる。
坂を降り、突き当りを左に曲がれば、すぐに神楽坂に出る。
オフィスからは、10分ほど。
今、歩いてきたルートは、江戸の地図を見ると、まったく
変わらずに、今でもある。
今日の地図は、市谷牛込の区分図である、切絵図の神楽坂あたり。
前にも書いたが、道に描かれている、小さな四角が
この地図にもあるが、これは辻番所。
江戸の頃の神楽坂は中小の旗本屋敷がほとんどを占めている。
また、現在、うなぎのたつみや、などがある本多横丁。
地図の路地の下(西側)には、本多修理と書かれているが、
これに由来している。
(本多修理は本多修理大夫助賢かと思われる。
信濃飯山藩の第六代藩主、豊後守、幕府の若年寄も歴任している。
飯山藩の上屋敷は一橋御門外である。この地図は、安政四年の版で
同五年に没しているが、隠居後の屋敷か。)
ちょっと、横道にそれるが、今、神楽坂というと、
江戸の雰囲気を残した、というような語られ方をされていることが多い。
これは、今でも残る料亭などの神楽坂花柳界からのイメージである。
(今も芸者さんは30名程度いるとのこと。)
歴史的にいうと、神楽坂に限らないが、東京の花柳界というのは
深川が最も古く、時代として江戸の発祥といえるが、それ以外は、
ほとんどが幕末以降の成立で、実際に花柳界として栄えたのは、
大正から昭和初期、そして、戦後復興し昭和30年代までのことである。
私などは、まあ、いわゆるお座敷遊びというのは
あまり縁もない世界であるが、花柳界=江戸の雰囲気というのは、
少し違う、のであろうかと思われる。
今回も少し調べてみたのだが、江戸の頃の神楽坂のことである。
いわゆる、岡場所と呼ばれていた場所。
山手のこのあたりでは、前にも触れた市谷亀岡八幡の境内、
そして、上の地図にある、神楽坂上の行願(元)寺門前にも、
通称“山ねこ”と呼ばれる岡場所があったようである。※1
(岡場所というのは、江戸では、吉原のような公許の遊郭ではなく、
いわば、もぐりの娼家、のこと。)
今もある、毘沙門様は、この北にある牛込総鎮守赤城神社とともに、
江戸の頃から栄えており、人の集まる場所で、それと不可分に
岡場所があった、ということであろう。
こうしたものが、母体になり幕末から、明治以降、形を変えつつ
三業地として制度化され、花柳界と呼ばれるものになった
のであろう。
そして、山手の花柳界として、
作家、映画監督など様々な文化人にも愛用された。
(映画にもなっている、向田邦子の「あうん」などを観ていると
高倉健と坂東英二が芸者遊びをするシーンがでてくるが、
当時の神楽坂のイメージではないかと思っている。)
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まあ、歴史をきちんと見るとそういうことで、
花柳界のいわゆるお座敷遊びは、東京では、江戸時代からのものではなく、
大正昭和の花街の雰囲気を伝える、といった方が、正解なのであろう。
(これは、以前にも引いた加藤政洋著『花街・異空間の都市史』
でも指摘されている。※2)
閑話休題。
神楽坂、志満金、で、あった。
8時過ぎ、店に入ると、一階は一杯のようで、
二階に案内される。
窓側の席に座る。
もうだいぶ寒く、
薄いコートなども羽織っていたのだが、市谷からここまで、
一所懸命に歩いてくると、薄汗もにじんでくる。
であるが、やはり、気分である。
お燗でお酒を頼む。
そして、考えていた、松茸土瓶蒸し、と、うな重も頼んでしまう。
土瓶蒸しがあるので、むろん、肝吸いは、なし。
ちびり、と、呑んでいると、急いでくれたのか、
割合に、すぐに出てきた。
土瓶蒸し。

ツルのある土瓶のふた、兼、つゆを呑むためのお猪口の上に、
緑色のスダチが1/8ほどに切られて、ちょこんと載せられている。

ふたを取り、スダチを絞り入れ、つゆを一口。
香りもよいし、よい出汁、で、ある。
先の、ポルチーニのところで書いたが、
松茸は、匂い松茸、味しめじ、などというが、
やはり、香り、で、ある。
よい香りなのだが、ポルチーニと比べると、
刺激的な香りというのか、音楽でいえば、高音というのであろうか、
ちと、妙ないい方であるが、そんな感じがする。
ポルチーニなどの方は、高音部もありながら、ボディーのような
低い部分もある。松茸は甲高い、目から鼻に抜ける香。
松茸を食べてみる。
味しめじ、と、いうくらいで、香と比べると、味は今一つ。
鋭い香りはあるが、ボディーがない、というのであろうか、、。
しかし、これも、こうした土瓶蒸しでつゆやらに
香りを移すのではなく、採れ立てを炙っただけで、
しょうゆをさっとつけて、食べる、のが香りだけでなく、
味もよく感じられ、最高なのであろう。
ポルチーニにしても、松茸にしても、その他、
椎茸、しめじ、最近の舞茸、、などなど、
きのこにも色々なものがあるが、おもしろいものである。
つゆの中には、鱧の焼いたものなども入っており、つまんで食べる。
と、すぐに、お重もきた。
お重のふたを開け、山椒をふる。

こう、大立者が二つ揃うと、そうとうなもので、
ビクともしない。どうだい!、っ、てなもの、で、あろう。
贅沢、で、ある。
呑みながら、蒲焼もつまみ、土瓶蒸しのつゆも飲み、
松茸も、つまむ。
むろん、蒲焼もうまい。
酒を呑み終え、うな重は、掻っ込む。
煎茶が運ばれ、これで、一息。
しばらくすると、ここは、いつも、抹茶が出される。

私のような、がさつ者には、まったくもって、ここで出されなければ
縁のないもの、で、ある。
うまかった、うまかった。
階下で、勘定をして、出る。