浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



神楽坂・鰻・志満金

dancyotei2009-10-25

10月21日(水)夜


仕事をしていると、あたり前のこと、なのだが、
ストレスが多い。


腹の立つこと、極度に緊張すること、
難題、プレッシャーその他もろもろ。


と、いうことで、ストレス解消に一番簡単方法は、
うまいものを、食うこと。


中でも、四の五の理屈をこねなくとも、なにも考えずに
うまいもの、というと、私にはやっぱり、うなぎ、で、ある。


それには、うまい、
自分の好物である、というのもあるが、
高価である、贅沢品である、というような気分も大きいだろう。


と、いうような背景で、今日は、帰りにうなぎを食おう、
と、決心した。


仕事を終えて、8時半。
この時間となると、選択肢はここに絞られる。
神楽坂の志満金


ここは、10時までやっている。
拙亭近所、浅草のうなぎやは、やっぱり、店仕舞いが早い。


今、高価、贅沢品、と、書いたが、
うなぎの蒲焼の値段、と、いうのは、
実のところ、店による差、と、いうのは、
少ないのである。


これは、多くの店が、蒲焼の値段は、うなぎの大きさ、
目方(めかた)で、決めているからなのだろう。
老舗であっても、割烹やら、料亭の看板を揚げてもいる
うなぎやでも、蒲焼や、うな重の値段自体は、
大きく変わらない。
どんな店でも、2000円台から食べられる。


そんな中でも、この神楽坂の志満金は、
味もさることながら、サービスというのか、
客あしらい、というのか、居心地がいい。
ここで、がっかりしたこと、は、ほとんどない。


毎度のことだが、牛込市谷から、歩く。


加賀町から納戸町、牛込中央通りを渡り、
南町の住宅地を真っ直ぐ抜けて、突き当りを左折。


毎度書いているが、このあたりの町割り、区画は
江戸の頃とほとんど変わっていない。
また、都内でも数少ない、旧町名が残っているところ。


またすぐに、右折。
細い坂を降りる。坂の名前は、新坂。
この坂の左側が袋町で、右は若宮町。


坂がクランクに右、左に曲がり、また、突き当り。
右へ行くと若宮八幡、急坂を降り、外濠へ出る。


これは左に曲がる。
またすぐに、右。
ここから、町名は神楽坂。


この路地から、もう小料理や、など、飲食店が
両側に立ち並び、熱海湯なんという、銭湯が左側にあったり。


だらだらとした坂を降り、また突き当り。
これは左。
すぐに、神楽坂の通りに、出る。


志満金は左側。


入ると、一階、奥の席に案内される。


志満金は創業130年という。
正確な年は私は知らず、この地が創業の場所なのかも
わからないが、今年から130年前、と、いうと、
1879年、明治12年
まあ、明治の初期、と、いってよかろう。
ちなみに、このご近所の、かつそばを看板にするそばや、翁庵は、
5年後の明治17年の創業である。


江戸までさかのぼるうなぎやの老舗は、
浅草、神田、日本橋などの下町には、少なくないが、
やはり、この地が山手であったから、かもしれない。




しっかり歩いてきたので、やはり汗が出る。


ビールはキリン。


おぼんにビールと、お新香が運ばれる。


つまみは?


いつも頼む、肝の煮たの、もよいが、、、
ほたてのぬた、と、いうのがあった。


ここは、割烹の看板も掲げているので、
この季節であれば、松茸の土瓶蒸しだったり、
こういう料理もある。


これにしてみよう。
それから、うな重と、肝吸いも一緒に頼む。


ここで、どのくらいのタイミングで、持ってきたらよいか、
聞いてくれる。


ビールなので、そうそう、長くは呑まないので、
ちょいとずらす、くらいで、うな重を持ってきて
よいですね、というような、ところ。


これは、どうでもよいことのようなのだが、
お客、それも、酒を呑む者にとっては、
とても大切なこと。


そばや、などでもそうなのだが、まあ普通は呑み終わってから、
食べる。(そばやでは、呑みながら食べる人もいるが。)


呑んでいるのに、食べるもの、ご飯、が出てくる、
というのは、酒呑みにとっては、興ざめなのである。


呑んでいる時には、ご飯は食べたくない。
むろん、呑み終わるまで置いておけば、冷めてしまう。
そばならば、のびてしまう。


そばと酒と、一緒に頼んでも、池の端藪でも
並木藪でも、神保町の松翁でも、、呑んでいる
具合を見て、出してくれる。
(あるいは、よいところで声を掛けてください、
ぐらいのことは、いう。)


こういうところが“行き届いている”、
ということ、なのである。


一緒に頼んだのだから、一緒に作って、
あるいは、作る成り行き次第で、出さばよい、
と、考えている(いや、なにも考えていない)店が
あまりにも多いではないか。


特に、昨日今日できぼしの趣味そばなんぞは、
値段と態度だけ大きくて、こいうお客をみた
“行き届いた”出し方など、まるで頓着なし。
本来、こういう気の使い方というのが、
東京の客商売には、あったのだし、今でもこうして、
ちゃんとやっているところは、ある。


思うに、これは、お客があまりうるさいことを
いわなくなった、ということが大きいのではなかろうか。


池波先生ではないが、男の外での飲食の段取り、
と、いうのか、マナーというのか、流儀、作法が
なくなっている。池波先生は、こういうことに、
うるさかった。
いや、池波先生に限らず、昔の東京の男は、皆、
こういうことをとても大切にした。
美意識、でもあり、また、あたり前、の、ことで
それが、東京の一人前の男として恥ずかしからぬ姿であった。
だからこそ、老舗そばや、や、今日の志満金のようなところでは、
今でも、そういう“サービス”がきちんと残っている。


それこそ、戦後生まれの、今の、60歳前後、いわゆる団塊世代あたりから、
なのではなかろうか、お客自身も、そういう流儀、作法を
知らない人が多くなり、いまや主流?。


我々の世代以降は、さらに、やれ、どこそこで獲れた、なんとか、
だの、蘊蓄を並べる。モノにばかりこだわる「グルメ」もよいのだが
(いや、よくない。)東京の男は、こういう作法、マナーにこそ、
こだわるべきなのではなかろうか。
(私は、この年齢、で、あるが、社会人になり、
そういうことを知りたいと思ってきたし、むろん今でも修業と思っており、
恥ずかしからぬ大人の男になりたい、と、思っている。
第一、その方が、カッコいいではないか。)


お酒、お燗、といったら、熱燗ですか?
なぞと、聞いてくるのには、怒ってもよい
と、思うのである。
普通にお燗といえば、普通の温度、適温、上燗に決まっているではないか。


もっと、うるさいことをいおうではないか。


(その代わり、店への気遣い、他のお客への配慮などなど、
自分自身のマナー、振る舞いが、問われることも
自戒しなくてはいけない。)


またまた、横道にそれてしまった。


ほたてのぬた。





白味噌からし酢味噌。
ほたては、軽く湯通ししてあるよう。
わけぎもきれいに盛り付けられ、上品でうまい。


うな重





むろん、うまい。


煎茶が一度出てから、
最後に、これも、お上品に抹茶。
これを出すタイミングもむろん、見計らって、出してくれる。






店の家紋入りの落雁


元来が、がさつものの私には、これだけでも
寛げるもの、である。


御馳走さまです。
勘定をして、出る。


うまいし、なにより、気持ちがよい。
値段以上に、よい店、で、ある。








ぐるなび