浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その13

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三遊亭円朝作「真景累ヶ淵」。

いよいよ、大詰。

尼になっていたお熊の懺悔。
この部分だけ、歌丸師のDVD、CDが出ている。

この尼さんは実に、新吉の母が患っていた時に深川から深見新左衛門家へ
手伝いにきていたお熊であった。新左衛門の手がついて生まれたのがお賤。
つまり新吉とお賤は腹違いの兄妹であったということ。
お熊は若い頃から身持ちがわるく、十六の頃古河藩のそこそこの家の
お嬢様であったが家来の若侍といい仲になり駆け落ちをし江戸へ出てきた。
その時の子が、なんと土手の甚蔵。因縁は続く。亭主はすぐに亡くなり、
お熊は困り甚蔵は捨ててしまったという。
甚蔵はお賤新吉二人で殺しているわけである。

どうしためぐり合わせか、例のお久を殺し、お累が自害をした草刈鎌が
再び新吉の手元に返ってくる。
あっけないようだが新吉は己の因縁と悪行を悔い、お賤をその草刈鎌で
殺し、自らも腹に突き立てて、自害。

そして、お気付きかと思うが、この観音堂は十歳の子供であった
仇討に出ていた名主の弟、惣吉の母が殺されたところ。この犯人は実の
ところ尼さんになったお熊であった。その後、この観音堂に住み着いた。
これを悔いて、お熊も自害。
新吉の情報で出家をしていた惣吉は関取の花車を助太刀を頼み
追剥ぎに成り下がっていた敵(かたき)の安田一角を倒し、仇を討った。

速記本で円朝師は
「これでまず、おめでたく累ヶ淵のお話は終わりました。」
と長い長い噺を結んでいる。

いかがであったろうか。
落語ファンの方でも、おそらく全編に接することはないと
思われるので、ここにあらすじを書くことには意味はあると
思って書いた。

最後のお賤新吉が兄妹であったという件(くだり)。

テキストである須田先生の「三遊亭円朝と民衆世界」では
特に分析はされていないようである。先に、この件を考えてみたい。

共通するものがある。
黙阿弥翁作の歌舞伎「三人吉三廓初買」通称「三人吉三」。

月も朧(おぼろ)に 白魚の 篝(かがり)も霞(かす)む 春の空

黙阿弥先生お得意の七五調の名台詞。
大川端庚申塚の場があまりにも有名であるが、これも実は、兄妹で
関係を持つというお話で、二人は四つん這いの犬になる=畜生道に落ちる、
という場面が実際に舞台で演じられている。
この芝居の初演は安政7年 (1860年)。「累ヶ淵後日の怪談」として
円朝により創作されたのが安政6年といわれているので、前年、まあほぼ
同時期ということである。

三人吉三」などでは
「本作が書かれた幕末は、動乱する政局を忘れようとするかのように、
江戸の庶民は爛熟した文化と頽廃した世相の中に浸った時代だった。
そうした様子が本作には如実に表されているのである。」(wiki

なんという評がされている。これは今、歌舞伎評論では一般的な解釈であろう。
兄妹で関係を持つということに絞った評ではないとは思うがやはり、ちょっと
的外れに思う。

当時、近親相姦が一般的であったということではむろんなく、
「累ヶ淵」にも共通するドラマ作成上のある種テクニックであったと考える。
どちらも因縁、業というようなものが、当時の人々にわかりやすい
テーマとして流れており、それを表現する手段として使ったと
解釈すべきではなかろうか。

また、後々述べる円朝円朝作品の須田先生の分析と考察、悪党の時代を
背景にしていること、でもっとクリアになってくる。

ともあれ。
真景累ヶ淵」なかなかな噺であった。
こんな機会でなければ、私自身も触れることはなかった。
やはり不朽の名作である。食わず嫌いはいけない。
ただ、残念ながらあまりに長く、現代においてこの作品が落語の形で
ただの珍品、レアものではなく多くの人に聞いてもらう環境にはない
ことは残念である。

詳細な考察は最後に、ということにする。

さて。
これでやっと一つが片付いた。もう一つの円朝代表作がまだ残っている。
そう。「怪談牡丹灯籠」である。

「累ヶ淵」の2年後、文久元年(1861年)の作。
明治25年五代目菊五郎で歌舞伎化され、今も上演されている。

「牡丹灯籠」は実のところ二つの物語が並行して進行する形態を取っている。

円生師(6代目)のCDにしても歌丸師のものにしても片方だけ。
レアだが今演じられる場合も円生師(6代目)のものがベースにあり
同様なのではなかろうか。(歌舞伎もそのようである。)
つまり片方のお話は演じられていない。それで今となっては、
噺の全体像はやはりあまり知られていないといってよろしかろう。

すなわち知られているのは「お露と新三郎」「お札はがし」
「栗橋宿」といったあたりである。

ということで、こちらも、円朝全集と一部円生師(6代目)のCDを元に、
あらすじ完全版。

お露新三郎/お札はがしの方は、伴蔵という悪人が主人公。
こ奴をめぐるいわば「悪党」、欲と暴力、殺人の話。

もう一つは同様に暴力を背景にするが、孝助という者の忠義、孝行の話。
一部分、登場人物が重なっていたりする仕掛けになっている。

パラレルに進行するが須田先生に倣い複雑になるので片方ずつ
最後まで先に書く。
円朝師の速記は、孝助の物語から始まっている。円生師(6代目)の
CDのある伴蔵のお話の方は後へまわすとして、孝助の方を
先に書いてしまおう。

時代設定は寛保3年(1743年)吉宗の頃になっているが、
これも「累ヶ淵」同様、時代考証をして設定したというような
厳密なものではなく、百年ちょい前にしてみた、という
くらいのものではなかろうか。

始まりは湯島天神祭礼の雑踏で、旗本の凛々しい若様飯島平太郎が
酔った無頼の浪人黒川孝蔵と喧嘩になり切る。(これはおとがめなし。)

平太郎はその後家督をし父の名の平左衛門を名乗る。嫁を迎え
一人娘のお露が生まれる。お露は無事に美しいお嬢様に成長するが
奥方が病で没し、女中のお国というのに平左衛門の手が付く。
(この部分はパラレルのストーリーに共通するもの。)

そんな時、平左衛門家には新しい奉公人がくる。名前は孝助。
孝助は自ら武家奉公を望んできた。主の平左衛門が訳を聞くと、
剣術を覚えたいという。孝助は天涯孤独。父は平左衛門若かりし頃
湯島天神で切った黒川孝蔵であった。仇を打ちたいという。
むろん、平左衛門は気が付くが、孝助は知らないで奉公にきた
という設定になっている。
これがメインストーリーになっているのである。

 

 

 

つづく

 

 


須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より