浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



浅草・並木藪蕎麦

長々「忠臣蔵」観劇記を書いてきてしまったが、
今日から通常バージョン。
ちょっと前のものになるが、並木藪から。




11月8日(金)夜


例によって、栃木の工場から東武スペーシアで、
浅草まで帰ってきた。


いつもより少し早くて、7時すぎ。


なにを食べようか。


久しぶりに[並木藪]へでもいってみようか。


ここは7時半と店仕舞いが早く、
ウイークエンドは観光客が列をなし、
近所に住んでいても意外にくる機会が
少ない、のである。


ところで[並木藪]というのはご存じであろうか。
むろん蕎麦やである。


三藪(さんやぶ)などといわれ、東京の藪蕎麦の中でも、
元祖に近い三軒の藪蕎麦のうちの一軒。


神田、池の端、そして浅草雷門にある[並木藪]で、ある。


並木というのは今はなくなっているがこのあたりの町名。
雷門から真っ直ぐ南に、蔵前通り(江戸通り)、浅草通りの
交差点まで伸びている通りが並木。


実説は定かではないが、江戸も初期の頃、この通りに
並木があったからだという。


江戸の地図





三つの藪蕎麦の中では最もストイック(?)な店であろう。


近年建て替えたが、店のたたずまいは昔のまま。
二階建ての日本家屋。
店の中は、三和土(たたき)があってテーブル席と
小上がりの座敷の配置、大きさもそのまま。
さらに飾っ気がないのもそのまま。


また[並木藪]はつゆが最も濃い。
三藪の中でも最も濃いと思われるし、一般的に味の濃い
浅草あたりでも、いや、東京で最も濃いつゆではなかろうか。


私などは慣れてしまっているのであたり前の味だが、
東京でも山手の人は最初はびっくりする。


暖簾をくぐり、くもり硝子の入った格子をあけて入る。


金曜の夜。満席ではないが、テーブルも小上がりも
六〜七割は埋まっている。


出迎えたお姐さんに、一人、というと、
テーブルでもお座敷でもお好きなところへ、
という。


ちょっと、ゆっくりしようか。


あいていた座敷の出入り口に近いお膳に座る。


座ると、お姐さんが新聞を持ってきてくれる。


今、これをするところというのは、少なかろう。


池波先生はむろん、この[並木藪]も行きつけであったが、
この新聞を出すサービスのこともどこかに
書いていた記憶がある。


池波レシピで他には目黒のとんかつや[とんき]なども
これを今でもしていると思う。
なにとはなし、これをしてくれる食べ物やのことが
先生はお好きであったと思われる。


一人できたお客に新聞を出すというのは、
些細なことだが、その店のお客への気のまわし方
すべてがここに顕れているように思うのである。


また、もちろん、気の置けない店であることも
表してはいる。


ここ[並木藪]の応対は、実にちゃんとしている。
(これも三藪一ではなかろうか。)


食わしてやってる、くらいにしか思っていない
昨日今日でき星の“趣味蕎麦”に見せてやりたい。


さて。


注文は、お酒お燗と、迷わず、天ぬき。


この季節ここへきて座ったら、これしかない。


お酒はすぐにくる。





なにもいわなければ、熱燗でもなくぬる燗でもなく、
適温、上燗である。


塗りのお盆に真っ白なお猪口と真っ白な一合徳利。
白木一合升の袴。蕎麦味噌。


実に潔い。


なんの飾っ気もない。
これがよい。


よく、伊万里だの九谷だの、民芸っぽいのやら、
籠にたくさん入れて持ってきて、お好きなものを
どうぞ、なんというのがあるが、実のところ
ああいうのは、私の趣味ではない。


家で呑む場合もそうだが、徳利、猪口は
真っ白が最上である。


天ぬきもきた。





つゆにひたっているのはかき揚げ。


天ぬき、と、いうのは、天ぷらそばのそばぬき、
と、いう意味。ここの天ぷらそばは、芝海老の
かき揚げなので、こういうことになる。


濃いめのつゆとともに、つゆにひたってほぐれた
かき揚げをすすりながら、菊正宗の燗酒を呑む。


どちらも温かく、腹に染み渡る。
これに代わる幸せは、なかなか見つからぬ。


一合でやめて、そば。


ざる。





今は新そばの季節。
ご通家の方々は香りが違うという。


ここにも壁に紙に書いて貼ってあるが、
私は、毎度書いているが、残念ながら、
そばの香りというものはあまり意識したことがない。


そばよりも、つゆの味の方に、気が行ってしまうせい
かもしれない。


だが、むろん、十二分にうまいそば。


うまかった。


ご馳走様でした。


ここは座ったまま勘定。


座敷から立つときには、靴ベラを
かたわらに置いてくれる。


お姐さん、若い衆、皆で
「ありがとうございますぅ〜」。


店のたたずまい、そばや酒の味、そして、応対、
ひっくるめて、浅草[並木藪蕎麦]なくなってほしくない
東京のかけがえのない食文化。
私は、重要無形文化財を差し上げたい。







03-3841-1340
台東区雷門2丁目11−9