9月13日(月)夜
鮨が食いたくなった。
しばらくぶり、かも知れぬ。
やっと少し涼しくなったからだろうか。
そんな気もする。
このところ、体調不良で食欲がなかった、
ということもあるかもしれぬ。
また、酷暑の毎日で、生もの、という気分でも
なかった、ような気もする。
まあ、理由はわからぬが、食べに行こうと
思い立った。
どこがよかろう。
このところなん回かいっている、日本橋の吉野鮨。
気軽に行ける。
しかし、ちゃんとしている。
よい鮨や、であると、思う。
今日は、ちょいと余裕があったので、6時すぎ、
同僚を誘い、オフィスを出る。
市ヶ谷から、総武線で飯田橋。
東西線に乗り換え、日本橋まで。
今日は、テーブル席。
この店は、意外に、テーブル席も多い。
テーブルでゆっくり食うのもよいかと、思ったのである。
座って、ビール。
エビスの中瓶をもらう。
お通しは、松前漬。
さて、注文は。
テーブルに座ったので、面倒なので、一人前をもらおう。
特上。(2000円ちょい。)
(テーブルなので、写真付で。)
左上から、いか、中トロ、赤身、白身(鱸?)、いくら。
下、ひもきゅう巻、海老、玉子、穴子。
今まで、この日記で吉野鮨を書いた時には写真はなかったので、
ここのにぎりについて少し書いてみよう。
すべて、たれ(煮きり)が塗られている。
にぎりの全体としての大きさは小さめ、で、あろう。
ただし、毎度書いている、酢飯と種の比率は、酢飯大きめの
古くからの江戸前鮨の仕様とよってよかろう。
やはり、最近思うのだが、にぎり鮨はこれでなければならないであろう、
と、いうこと。
にぎり鮨、と、いうのは、単に酢飯の上に魚をのせて
一緒に食べる、という、利便が目的ではない。
酢飯と共ににぎることによって、酢飯と刺身をただ一緒に食べること
以上のうまさが生まれる。
これは実際に、アミノ酸が増える、というデータもある。
また、皆さんも実際に、にぎり鮨を食べたときに、
別々に食べるとき、あるいは刺身だけで食べるのとは違う味がすることを
感じたことがあるかもしれない。
私が思うには、マグロ、小肌、すみいかなどは
そうとうに違う味に、むろんうまくなるように、思うのである。
酢飯はほんの少しで、種ばかり大きなにぎりが、世の中にはある。
これはなにも最近のことではなく、東京でも大正の頃からあるにぎり方と
聞いている。
これなどは、私にいわせれば、にぎり鮨であることを
自ら放棄していることに等しいのではないか、と思うのである。
そうした中で、創業明治12年、日本橋で店を張る吉野鮨は、
酢飯の割合の大きな江戸前のにぎりを続けていると、いってよかろう。
特上一人前、どのにぎりも、うまい。
一人前には、光物がなかったので、連れとともに、
小肌、鯵、鰯をもらう。
小肌はもう新子(しんこ)とは呼べなかろうが、小さいので
二枚でにぎっている。〆具合は多少強め、で、あろう。
鯵も鰯も、うまい。
ビール4本。
二人で、8千円。
やはり、リーズナブル。
おそらく、べら棒に高いブランドの種は使っていないのであろう。
しかし、十二分に満足。
うまい鮨。
「たかがすし屋、されど鮨屋。」
これがこの店のメッセージ。
それ以下でもそれ以上でもない。
これで、おいしいでしょ。
その通り、である。