浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



日本橋吉野鮨

dancyotei2015-04-01



3月26日(木)夜


今日は久々に日本橋の吉野鮨。


連れがあるので予約のtelを入れると
カウンターはおろか1階のテーブル席も一杯で二階になった。


年度末でだからであろうか。


6時すぎに到着。


二階へ上がって突き当たりの小部屋。
テーブル席である。
二階に上がるのは初めてである。


瓶ビールをもらって、





箸袋には


「江戸で生まれて 東京で育ち 今じゃ日本をにぎりずし」


とある。



これももう、日本ではなく、世界に替えなければいけなかろう。


明治12年創業のこの家ならではの矜持である。


お通しは松前漬け。


まずは、刺身。


時期のもので、さよりと春子。
なんとなく、ここでのつまみというと、なぜだかさよりが多い。




さよりというのは、まあ年中あることはあるが
やはりこの時期がうまい。


光物に入る。しかし、味も食感もほぼ白身のようである。


なにか焼き物も頼もうか。


下足焼き。




焼いて七色唐辛子をふったもの。


カウンターに座ると、つけ場の奥でよく焼いているのを
見ていた。
こんなもの、いやこういうものが酒の肴にはよい。


よし。


にぎり。


面倒なので、二人前を先にもらおう。



飾り物があるわけでもなく、
なんということはないにぎりの鮨を並べただけなのだが
美しいとは思われまいか。


角度のつけ方であろうか。
ニキリが塗られて光っているのもよいよいように思われる。


このくらいは東京のどこの鮨やでもある程度そう大きくは
違わないのだとは思う。
おきまりの二人前の並べ方、なのであろうが、
端正という言葉が合っていようか。
過不足なく、必要十分。美しい。


むろん、一つ一つのにぎりが美しくにぎられているからでもある。


玉子も厚焼きの今のものよりも、この昔のものの方が、
美しさでは、上である。


玉子、トロ。


そうだ。


そういえば、この店はトロ発祥の店であった。
なんでも大正の頃、場所柄、(三井)物産の部長さんだか、
番頭さんだかの馴染み客があまり人が食べなかった、
まぐろの脂身を食わせろというので、出すようになったという。


海老が特筆すべきであろう。見た目も美しいが、プリプリ。


巻物はねぎとろ


追加。


鯛昆布〆、つまみでもらったが春子、それから煮はま。





皆、江戸前らしい仕事をした種である。



これらは今でもこうするのが最もうまい。



さらに、うに、小柱、白魚。





くしくも軍艦巻が揃った。


軍艦巻が生まれたのは明治になってから
であろうという。


うにはどのくらい前から鮨になったのであろうか、
わからぬが、小柱、白魚は江戸前の魚介類としては
昔からとてもポピュラー。


白魚は古くは茹でたものを数匹まとめてにぎり、
海苔の鉢巻で留(と)めていた。


しかし、鮮度がよければ生の方がむろん、うまい。


それで今は軍艦にするのが一般的である。


「月も朧に 白魚の 篝も霞む 春の宵」


いわずと知れた、黙阿弥翁の
歌舞伎「三人吉三」の名台詞である。


これが江戸の美学である。


江戸の昔。
白魚は隅田川河口などで、夜、篝火を焚いて
四手網で獲っていた。


この店で、この季節、白魚の鮨が食べられるのは
幸せなことである。


ご馳走様でした。


うまかった。


お勘定は、酒も数本呑んで、二人で16k。




中央区日本橋3-8-11
03-3274-3001