浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



天ぷら・蔵前・いせや

4307号

3月25日(土)夜

さて、江戸前天ぷらの蔵前[いせや]。
いせや

ここに書いてはいないが、少し前にも
きていたと思う。

コロナ中には、出前や持ち帰りでお世話になった。

春日通りと新堀通り合羽橋道具街通り)の交差点脇。
蔵前四丁目。旧町は栄久町。私の住む元浅草七軒町
同様、鳥越神社の氏子町。

開店は昭和47年(1972年)という。
日本堤、吉原大門前の老舗[土手の伊勢屋]の
ご兄弟が開かれた店。

古い形の江戸・東京の天ぷら。
衣は厚めで、どちらかといえば、天丼に向いた
天ぷら。

これもいつもお世話になっている、ご近所、
三筋の[みやこし

は、どちらかといえば、カウンターで薄衣で
軽めに揚げる。今の東京の天ぷらやの主流は
こちらである。

この系統の天ぷらが東京で生まれたのは、
明治終わりから、大正に掛けてと私は考えている。
それ以前は厨房で揚げたものを皿に載せて、
お客に運んで出す。揚げてから若干のタイムラグ
がある。
それが、お座敷天ぷらなどという名前で座敷に
揚場を作り、職人がお客の目の前で揚げる形式が現れ、
話題にもなった。このあたりから、軽く揚げて、
対面ですぐに出すという形に次第に変わっていった。

天ぷらにとっては大きな変化であり、進歩でも
あったのだと思われる。
だが、[いせや]のような、以前の江戸東京の
天ぷらの形も私は別のものとして好きである。
また、この浅草界隈にはこの系統の天ぷらやは
少なくない。いや、今でもこちらの方が多いかも
しれない。
また、そばやの天ぷらは今もこの系統であろう。

明治の前期には、浅草[中清]だったり、浅草に
限らず、銀座の今もある[天国]であったり、
かき揚げの厚みや大きさを競い巨大なものを
売りものにするところが多く出てきた。
流行といってよかったのであろう。
以前、このあたりのこともう少し詳しく書いていた。

閑話休題

6時頃内儀(かみ)さんとぶらぶら歩いて
出掛ける。
特に予約はしていない。

新堀通りの交差点を渡って、店へ。

暖簾を分けて入る。

二階は座敷で、一階はカウンター。

先客はカウンターに二組ほど。

若い高校生くらいのお嬢さんがお茶を出す。
娘さんであろうか。

ビールをもらう。

お通しは切り干し大根の入った煮物。

どうしよう。
基本、ここは様々な種類の天ぷらの天丼が
メインなのだが、ご飯抜きで、天ぷらだけの
盛り合わせにしよう。

中、上は大海老天が一本と二本。
並が、小海老三本。
大海老天でなくてもよいので、並を二人前。
それと別に、貝柱のかき揚げと穴子をもらおう。

並、1500円也、がきた。

色が濃いのでわかりにくいかもしれぬ。
海老は、小海老といっても芝海老ではなく、
小さめの車海老、いわゆるさいまき海老を筏に
並べて揚げたもの。
それに、きすといか。
右側、おまけで、野菜天、かぼちゃ。
ちなみに、野菜天は品書きには書いていない。

以前、ここの先代ご健在の頃「江戸前天ぷらは
ほんとうは、野菜は揚げなかったんだ」と
仰っていた。
やはり、江戸前天ぷらは、にぎり鮨同様、
江戸前で獲れた魚を揚げるものであった
のであろう。
だが、もちろん、かぼちゃ天もうまい。

天つゆは、濃い甘口。天丼にかけるものを多少
薄くしたといったところ、か。

厚衣の江戸前天ぷら。
これもよい酒の肴、で、ある。

お新香ももらった。

穴子一本1000円也、と、貝柱かき揚げ、900円也。

やっぱり、野菜天、なすとししとうのおまけ付き。

貝柱は、むろん小柱。

穴子はほかほかで、カラッと揚がっている。

どれもしっかり揚がったもの。

これらが、江戸前ラシックスタイルの天ぷら、
で、ある。
ずっと、続けて行ってほしい。
そうあるべきであろう。

いつも、ご馳走様です。

 

台東区蔵前4丁目37-9
03-3866-5870

 

 

 

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