浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭料理日記06年を振り返って・その1

dancyotei2006-12-28

さて、断腸亭錠志の「断腸亭料理日記」のこの一年を振り返る。


どんな一年であったろうか。


いや、その前に今年は、「断腸亭料理日記
断腸亭錠志として、いろいろな変化があった年であった。


そこで、今回は、「断腸亭料理日記」そのものを少し振り返ってみたい。
これはまったく私自身の個人的作業であるが、
付き合っていただければ、幸いである。


この日記を書き始めたのは`98年10月。
今から、8年も前で、年齢も35歳であった。


当時、私は名古屋に単身赴任をしていた。
単身赴任自体は、その前の年からであったと思う。


そもそも書き始めた動機は、二つ。


一つは、その単身赴任時に作った食い物、
外で食べた食い物を、内儀(かみ)さんに伝えて自慢したい、ということ。
これは電話で喋るのは金がかかるから、という単純な理由である。


そしてもう一つ。
当時、少しずつ、普及し始めたインターネットで
不特定多数の方に読んでもらう。
もう少しいうと、当時も既にファンであった、
池波正太郎先生の「銀座日記」のような食のエッセイのようなものを
書きたい、そんなことであった。


(当初は、ホームページを作っていたわけではなく、
当時、リクルートのやっていた、イサイズというサイトに
素人が書ける投稿作品ページがあり、そこからがスタートであった。)


つまり、「断腸亭料理日記」は、最初から、“つぶやき”ではなく、
人になにかを伝えたい、ということがスタンスの一部に既にあった。
(また、ついでにいうと、これも今も変わっていないが、
誰かと友達になりたい、“出会いたい”のでも、
最初からなかったのである。)


前に、最近のブログが、放電である、というようなことを書いたが、
そういう意味では、最初から、放電ではなく、
発信といってよいのか、楽しんでもらう、感心してもらう、
感動してもらう、などなど、なんらかのことを、
表現し、多くの人に伝えたい、ということが
私の「野望」ではあったのである。


もともと、民俗学なんぞを勉強していたわけであるし、
学生時代には、学生新聞なんぞも少しやってもいた。
いうところの、文系の出ではあるので、文章自体は、
書かないことはない。しかし、伝達ではなく、表現として、
書く、ということは、まったく経験はないし、意識もなかった。


そこで、どんな文体がよいのか、どんなスタンスがよいのか、
考えたわけである。
白状をすると、当初は、池波先生の文体を真似てみる、
というところから、始まっていたのである。
(できているかどうかは、別として。)


第一回


今、その八年前の文章を見てみると、随分、今と違っている。
長さも今よりずっと短い。


この日記は、そんなことから始まっていた。


また、この頃も既に、池波作品に登場する料理を
再現してみる、ということも、始めている。


もう一つ、落語。
日記には、ほとんど書いていないが、この頃は実は、最も、
熱心に立川志らく師の教室に通っていた頃であった。


そして、書き始めて一年後、`99年10月、名古屋から、再転勤で帰京。
(当時の住まいは、葛飾の四つ木。)


帰京をすると、仕事が少し変わり、それまでの食品、菓子などの
商品企画、デザイン、マーケティングの仕事から、
ネット系の仕事になった。


当時は、ネットバブルともいわれた時代で、2000年に入り、
多忙を極めるようになり、日記としては、`00年7月で中断。
落語もこのあたりで、少しずつさぼるようになり、同じく中断。
結局、第一期の断腸亭料理日記は、1年と9ヶ月、で終わった。


それから`04年に再開するまで、ブランクは
まる4年、ということになる。


`01年に浅草の今の場所へ引越し。
`03年に40歳を迎える。


中断中であったが、この間に、最初の取材、NHKの火鉢。
(`00年12月、NHKハイビジョン「このすばらしきもの 火鉢編」
番組は、ある「もの」に焦点をあて、掘り下げるというもので、
今時、リアルタイムで火鉢を使っているヘンな奴がいる、
というのが私を取り上げた趣旨であった。)


朝日新聞AERAで、鬼平軍鶏鍋の取材などあった。
AERA`03年10月20日発売号「池波正太郎 秋の美味探訪」
これは池波作品の好きなサラリーマンのAさんが、鬼平軍鶏鍋を
再現する、というもの。)


さて、中断中、私も40を超え、厄年やら、なにやら、
人というもの、男というもの、段々と変わってくる、ということを
身に染みて感ずるようになった。
身体も、もはや押しも押されぬ、中年であり、無理もきかない。
仕事も、家庭も様々な問題が出てきたりもする。


そこで、池波先生の「人は40を超えたら一日に一度は
自分が死ぬことを考えた方がよい」という言葉にたどり着く。


仕事だけではなく、子供のいない私などは、
なにか形に残るものを残したい、ということを
考え始め、`04年4月に復活させた、ということである。


先の、当初、この日記を書き始めた目的の一つ、単身赴任中の
内儀さんへの連絡、というものは消滅していたので、
今度は、不特定多数の方に、なにかを伝える、
という目的一本。


そして、`04年、ネット世界は、ブログというものが、
日本でも、始まりだした頃。
で、あれば、できるだけ多くの方に読んでいただくのが
野望であるから、まったく同じ内容であるが、まぐまぐ
メルマガ、はてなのブログ、そして、本家のホームページと
3メディアで始めることにした。


そして、基本的には、土日休みで、週五日。
不定期に休んだりはしないで書くことを、自分のルールにした。


ネットの中は、更新が命である。
とにかく、規則正しく続けることなのである。


そんなことで、再開した「断腸亭料理日記」ではあった。




(長くなるので、今日はここまで。続きは大晦日、配信分。)