浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



人形町・京粕漬け・魚久

4340号

5月21日(日)夜

今日は昨日の続き。

人形町、洋食[そよいち]でビーフカツを食べ、
タクシーに乗るために、甘酒横丁から、人形町通りに
出てきた。

いや、正確に言うと、甘酒横丁交差点までが
甘酒横丁で、人形町通りから先、[そよいち]側は
甘酒横丁とはいわぬのであろう。

ちょっと地図を出してみよう。

甘酒横丁と人形町通りはおわかりになろうか。
この二本の通りは直交している。
だが、どちらも正しく東西南北に走ってはいない。

このあたり碁盤の目、なのだが、南北に向いていない
のである。

ちょうど45度くらいであろうか、傾いているのである。
これ、私などにはやはり気持ちがわるい。
もちろん、こうして道、町割りを文章にする場合も
方角を東西南北で書きずらいのである。

このあたり、というのは、どこかというと神田川の南から、
日本橋川の北までの千代田区中央区にまたがっている
広い範囲。
そして、日本橋川を越えた、京橋銀座地域はまたちょっと
ずれて、南北に近くなる。

一方、京都の碁盤の目はきれい南北が揃っている。

東京でも私の住む上野浅草界隈はほぼ南北に正しく
碁盤の目になっている。

東京の下町で地図を頭に入れて、あるいは手に持って、
街を歩く、自転車で走る、車で走る、場合、
川を越えるごとに、碁盤の目がずれており、混乱する
ことになる。そんな経験をされた方はあるまいか。

東京都心の町割りは江戸からのものを明治以降現代まで
そのまま大方引き継いでいる。つまり、東京の町割り、
道の配置の概略は家康が作ったもの。
ずれている境は、川、堀、あるいは駿河台など
台地の縁に沿っているところ。
台地や川に関係なく、全部を南北に正対させることも
まあ、できなくはなかったと思うが、やらなかった。
なぜであろうか。
理由を考えてみよう。本来京都は中国の都の造り方
条里制というのにならって造ったので、きれいな南北。

江戸は江戸城という、戦国から安土桃山の城を中心に置き、
町家もそこに含んだ惣構えと呼ばれる城下町であるから。
城郭都市なので、防衛上全体を南北揃ったきれいな
真四角にはしたくない。複雑な多角形から円形に近くなる。
そこに濠、堀、自然の川がからみどうしてもきれいには
並べられない。そんなことになるのであろうか。

ただ、おもしろいのは飯田橋から先の神田川
ご存知のように、江戸開府から多少時間がたってから
造っているが、人力で本郷台地を強引に深く掘った。
そして、飯田橋から隅田川に出る柳橋までほぼ東西
真っ直ぐの堀になっている。
やはりやろうと思えばやれる、あるいは、やりたかった。
きれいに並べた方が、土地活用はしやすいのは
言うまでもない。もちろんコストもかかる。江戸開府後、
幕府が安定した時期であったからできたこと、と
いえるのかもしれぬ。

閑話休題

東西から45度ずれた人形町通りに出てくると、内儀
(かみ)さんが、[魚久]の粕漬を買いたい、と。

私はあまり買わないが、内儀さんは好物のよう。

[魚久]というのは、京粕漬というのを看板にしている。
老舗であり、有名店といってよいだろう。
ご存知の方も多いかもしれぬ。料理やもやっている。
朝、割安な切り落としに並ぶ人の列でも知られている。

[魚久]は大正3年(1914年)隣の蛎殻町で魚や
として創業。
仕出しなどもするようになり、昭和15年(1940年)
二代目の時代になり割烹も始める。
まだこの界隈が花柳界としてにぎわっていた頃。
粕漬はこの割烹の人気メニューであったよう。
今は粕漬の店で、料理やもやっているというように
見えるが、実は、割烹が先であった。
京粕漬の店として暖簾をあげたのは戦後昭和40年
(1965年)。界隈から芸者町らしさが少なくなって
いった頃と重なってもいよう。

買ったのは、定番の銀鱈(ぎんだら)1080円也と
帆立(3粒入り)810円也。

翌日夜。

開けると

真空パック入り。

包装紙の裏に焼き方が書いてある。

魚の粕漬は、風味が落ちるので、洗わないという
レシピもあるが、ここはきれいに水洗いと、
いっている。

きれいに洗って、ガス台のグリルで焼く。

焦げやすいので焼きすぎには注意。

焼けた。

ビールを開けて、食べる。

銀鱈なので、脂も多い。帆立もうまい。
そして、ここの京粕漬というのはかなり、あまい。
だから焦げやすい。

粕漬というものは、どんなものなのか。
瓜などの野菜もあるし、こういう魚もある。
自分でも試みたことがあるが、簡単ではない。
そもそもただ売っている酒粕に漬ければ粕漬になるのか
と思うと、そうでもない。
酒粕も鮮度のよい、搾りたてに近い米麹の生きているもの
でなければいけない。麹の発酵をさせる力を持っている
必要があるのである。なんか月も経って硬くなったものでは
粕漬にならないのである。
そして、本場である奈良や京都では酒粕だけでなく白味噌
も入れる。また、酒粕以外にみりんの粕も使われる
こともあるよう。米麹の発酵には糖分が必要ということで
あろうか。
まあ、それで、あまい。これが粕漬というもの。
それが、うまい粕漬か。

 

魚久

中央区日本橋人形町 1-1-20
03-5695-4121

 

 

 

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