浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



歌舞伎座三月大歌舞伎・夜 その2

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引き続き、歌舞伎座、夜。

「盛綱陣屋」。
この芝居、設定は、ちょっとおもしろい。

大坂の陣の真田なのである。

ご存知の通り、真田は兄、真田信之と弟、幸村兄弟が
関ヶ原の戦い前から、大坂(豊臣)方と徳川方に分かれたわけだが
大坂の陣での二人のお話。

もちろん、江戸時代の芝居で実名を使えないので
鎌倉時代に移し、真田を佐々木と読み替えている。

兄弟が敵味方に分かれて戦うドラマという設定。

幸村は、かの真田丸で有名でむろん大坂の陣では活躍している
のであるが、史実は信之は参陣しておらず、代わりに長男の
信吉と次男の信政が戦いに参加している。

舞台は信之の陣屋でここに幸村の子供、大助が人質として
捕らえられるというところから始まる。

筋は書かないが、伯父であるが敵方の捕虜になった大助。
肉親であり敵味方であることのドラマである。

この大助を勘太郎勘九郎の長男、8歳。
親父さんは視聴率に苦しんでいるようだが「いだてん」で奮闘中。
息子は台詞も多く出ずっぱりの子役の大役。
また音羽屋の眞秀君6歳も、こちらは信之の子として登場。
彼は寺島しのぶのハーフの長男で正月の国立の菊五郎劇団にも
登場したのを観た。やる気満々である。

年のせいか、子役が一所懸命に舞台を務めているのを
観ると、弱い。

さて。
なぜこの系統のストーリーがだめなのか。
あるいは、なぜこんなひどいお話ができていて
今でも支持されているのか。
この分析、考察をしたいのだが、これはちょうど、
書き掛けている、円朝師匠の文章とも関わって
きそうなのでそちらで改めて考えることにする。

幕間。

書いていなかったが、今日の席は後ろの方だが、花道直近。

これだけ近いと、花道を走る役者の息遣いまで聞こえてくるので
なかなかよい。

弁当の鯖の押し寿司。

こういうものはいつどこのものを食べても、うまい。

さて。
二つ目は「雷船頭」という踊りの幕。

寄席では、トリの前を膝替わりといって、
紙切り、太神楽などの軽い色物が出演るが、そんな感じである。

幸四郎が粋な船頭で、空から落っこちた雷と踊りを踊る、
というもの。(交代で猿之助は女船頭として踊るよう。)

エンターテインメント性が高い変化舞踊。
天保10年(1839年)の初演。幕末になるとこんなものが
多くなったようである。

幸四郎は踊りであれば、安心して観ていられる。

そして、いよいよ、お目当ての猿之助の「弁天小僧」。

「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」。
もちろん、河竹黙阿弥作。
なん度も観て、なん度も買いている。

勧進帳と並んで、歌舞伎で最も有名な、歌舞伎を代表する
芝居といってよいだろう。

14年国立「通し」菊之助

18年「團菊祭」菊五郎

芝居自体の説明はこちらをお読みいただくとして、
猿之助の芝居。

正体が現れて、居直って、片肌脱ぎ、大あぐらで、
「知らざぁいって 聞かせやしょう~」
の名台詞。

「お・も・だ・か・や(澤瀉屋)」の声がかかる。

さらに。

待ってましたぁ~~~~。

私もこれを観にきた。
まさに、待ってました!。

 

知らざあいって聞かせやしょう

浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の

種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き

以前を言やあ江ノ島で、年季勤めの稚児が淵

百味講で散らす蒔き銭をあてに小皿の一文字

百が二百と賽銭のくすね銭せえ段々に

悪事はのぼる上の宮

岩本院で講中の、枕捜しも度重なり

お手長講と札付きに、とうとう島を追い出され

それから若衆の美人局

ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた爺さんの

似ぬ声色でこゆすりたかり

名せえゆかりの弁天小僧菊之助たぁ俺がことだぁ


この言い立て、長台詞、の、感想ではあるが、なんだか多少
ぎこちなかったような気がするのである。

この浜松屋の幕、むしろ相手役の南郷力丸、幸四郎
台詞回しの方が小気味よかった。

記録を見ると、猿之助の弁天小僧は、亀次郎時代に
一度あるようで、初役ではない。
だが、一度だけ。
もう一つ、こなれていないか。

私だけではなく、猿之助の「知らざぁいって・・」を
聞きにきた客が多かった。この勢いに気圧された?。

わからぬが。

だがやはり、この役者、こんな感じでもやっぱり魅力がある。
観客を引き込むものがある。
そんな気がするのである。

これがやっぱり、いい役者になってほしい。
なるんじゃないか、という期待につながる。

来月も歌舞伎座に舞踊のようだが出番があるよう。
期待をもって見守りたい。