浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その2

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引き続き、須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」。


まあ、バラバラとしているようだが、自分としては一貫性というのか
ある程度の筋はある。私の父方は東京大井町の出で、明治の初め
曾祖父までさかのぼるとあのあたりの百姓で、江戸の頃から苗字を
持って田畑もそこそこあったようななので、名主くらいは勤めて
いた家であったのだと思う。私の祖父さんは三男で家を出ている。
付き合いはないが本家は今もあのあたりにあって子孫があると思う。
子供の頃はそんな祖父さん祖母さんと同居してた。祖父母二人とも
ヒとシが言えなかったし、環境としては東京、それもどちらかといえば
下町にアイデンティティーのある家で、私自身は、大井町あたりは
住んだこともなく知らないが、故郷は東京であると思っている。

たまに書いているが大学で学んだ民俗学では、当時は江戸・
東京といった都市は扱わないことになっていた。学部レベルの
学生は自分の故郷でフィールドワークをして卒論を書くのが
推奨されていたのだが、故郷を研究できない私は、大学で民俗
調査を請け負っていた新潟県の最北の町の調査に加えてもらって
卒論は書いた。(低級な内容であったが。)そんなものの
代わりが、江戸落語であり、池波先生の作品群であったのである。
故郷江戸・東京の庶民の文化、心象を明らかにしたい、というのが
まあ、ざっくりいえば、私のしたかったこと、ということに
なるのである。

庶民の文化といっても、江戸・東京は大都市で衣食住、落語、
歌舞伎などの娯楽、文化文芸、美術その他、実に様々な分野があって、
様々な人々が関わり、学術研究も数多くされてきているわけで、
私個人がすべてをフォローすることは不可能ではある。
また、考える軸も、文学、芸術、歴史という大きな軸があり、
それぞれに各フィールドを扱っている。
私としては、文学、芸術という軸もあるが、どちらかと
いえば、民俗学を学んだということもあり、文学、芸術よりも
民俗学の隣といってよい歴史学日本史学に軸足がある。

まあ、こんなところを前提としたい。

旧臘、サラリーマンを辞めて、断腸亭として生きていく
などと書いたが、具体的になに、というあてがあるわけでは
正直のところまだない。

「講座」や落語もあったが基本的には書くということを主にしてきた
のでまあ、そちらの方がメインなのだと思うのだが。
だが、30年のサラリーマン生活の垢を落とすというのであろうか、
「日記」は続けながら今しばらくはブラブラしていようと思っている。

閑話休題。そんなことでやっと本題。

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」。

この本、論というのか、研究というのか、私にとっては
かなり興味深く、画期的だと思うのだが、まあ、いってしまえば
あたり前だが専門的というのか、まあ、マニアックというのか、
難しい。

できるだけ、わかりやすく書いてみたい。

三遊亭円朝というのは、落語好きの方は名前くらいは
聞いたことがあるかとは思う。
ただ、そんな方も具体的にはどんな落語家、噺家であったのか、
どんなことをした人なのか、いえ、といわれると、
はて?と首をひねってしまうのではなかろうか。

なんだか有名で伝説の人なのだが、実際にはよくわからない。
そんな存在だと思う。

1839年天保10年)江戸、湯島切通町の生まれ。
父は橘屋円太郎という噺家
没は1900年(明治33年)。享年61歳。

ちなみに、歌舞伎の大作者、河竹黙阿弥が、ほぼ同時代1816年
(文化13年)生まれ、1893年明治26年)没で若干年上。

書いた通り二人とも江戸と明治両方に活躍している。

この、江戸から明治にかけて江戸・東京で生きて、落語、歌舞伎の
表現活動をしていた人というところが、とても興味があるのである。

黙阿弥についてもなん回も書いているが、江戸期の数多い
泥棒を扱った白波物と、明治になって作られたものとある。
例えば毎度書いている「直侍」のそばやは明治になって書かれた作品
で、ある。

興味の中心というのは、江戸人が時代が替わり、
どうやって東京人になったのか。

もちろん、江戸生まれでも勝海舟のような、武士、政治家も同じ時代を
生きて、江戸から東京を生きていたのだが、こうした人では
だめなのである。

つまり、円朝は落語家、落語作者、黙阿弥は歌舞伎作者だが
どちらも当時売れており、第一線の人であると同時に、
政治家でも商人でもなく、庶民である。

表現者がどんな風に変わったのか、変わらなかったのか。
庶民は、どんな風に変わったのか。もちろん生活は変わった
のであろうが、特に、考え方が、変わったのか変わらなかったのか、
ここである。

もう一つ。
今でも落語の中で「上からは明治などというけれど
オサマルメイと下からは読む」なんという言葉が
残っている。
江戸人、この場合江戸っ子がよいか、にとって、薩長
田舎者が土足で、愛する江戸に入ってきて、私たちの
将軍様を追い出し、江戸をぶっ壊し、勝手に支配者になり、
新しい世の中、文明開化、富国強兵なんという時代を
作ってしまったなんという見方もある?。

明治という時代をどう評価するのか。

東京人、いや、日本人、日本という国にとって、庶民の江戸から
明治を明らかにするということは、明治という時代をどう評価するのか、
ということにもつながっていくはずである。

前にも書いたが、私自身、実際のところ、はっきりしていない。
もちろん、一言でいえるようなことでもないが、
だがこの研究書を読んで、一つ目から鱗が落ちたような
気がしている。

須田先生の研究、さて、どこから、書こうか。
まずは、背景から書いてみようか。

須田先生の研究は、もともとは「悪党の研究」といってよいか、
この論の一つ前の「悪党の十九世紀」(青木書店)

天保以降明治0年代の百姓一揆の研究である。
当時の百姓の中心にした庶民の(反?)社会活動(運動?)の研究。
幕末前後の一般庶民(農民)の実像を浮彫にしている。

これを背景に今回の研究「三遊亭円朝と民衆世界」

がものされている。

前作「悪党の十九世紀」ももちろん読んでた。
両書合わせて、みてみたい。

 

 


つづく