浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



里芋とねぎのふくめ煮

10月28日(月)夜



大分寒くなった。


夜、市谷のオフィスを出て考える。
なににしようか。


やはり、燗酒である。


肴はなににしようか。


真っ先に思い浮かんだのは、
表題の「里芋とねぎのふくめ煮」。
燗酒にはこれがよかろう。


これは池波レシピ。


作品は『鬼平犯科帳』で、ある。


第11巻「土蜘蛛の金五郎」という一編。



平蔵が例によって、市中見回りの途中、
下谷の「上野山下から浅草へ通っている新寺町の大通り」の
車坂代地町にある[小玉屋]という行きつけの蕎麦やに入って
「茶わんの冷酒をもらい、太打ちの蕎麦をすすりこんでいる」。


上野山下というのは文字通り、上野の山の下で、
今の上野駅前、正面口や浅草口のあたり。
寺町通りというのは、今の浅草通りのこと。


この[小玉屋]という蕎麦やは、今であれば、
昭和通りの交差点の中あたりになってしまうか。


ここで平蔵は隣で同じく蕎麦をすすっていた
職人らしい男二人の噂話を聞く。
なんでも、三ノ輪のはずれにある[どんぶり屋]という
驚くほど安い飯屋の話をしている。


興味を覚えた平蔵は十日後の朝、髭はろくに剃らず、
月代(さかやき)も伸び放題の汚れ浪人になりきった姿で
三ノ輪にあらわれた。


「上野山下から坂本、金杉を経て千住へぬける奥州・陸羽両街道の
筋街道に面してい往還は近年に至って、大いに
賑(にぎわ)いはじめている。」


先ほど書いたように、上野山下というのは、上野駅前。


ここから千住へ向かう奥州・陸羽両街道の筋街道というのは
今の昭和通りにあたるが、実際の位置は一本西側の道で
今は、金杉通りと呼ばれている。


今、昭和通りは同時に、国道4号で日光・奥州街道でもあって
本街道である。


池上先生は"脇街道"と書かれているが、このルートは
江戸の頃は千住へ向かうには脇道で本街道はこちらではなかった。


本街道は、今いう江戸通り(蔵前通り)、浅草橋から北へ上がり、
蔵前を通って吾妻橋の袂、東武浅草駅前をそのまま北へ、
言問橋西詰の交差点を斜め北、南千住の泪橋へ向かう。
この通りであった。


江戸の地図と現代の地図を両方出しておこう。





現代。

http://goo.gl/maps/2tdCA




江戸の地図は、切絵図という今でいう区分図で、
「今戸、箕輪、浅草絵図」というものだが、
このあたり、だいぶ歪んでいるが、概略は
おわかりになろう。


千住大橋の位置は現代とだいたい一緒。


山谷掘、根岸川。
山谷堀は大川(隅田川)からさかのぼり、先の奥州日光街道
本道を今戸橋でくぐり、左に新吉原をみて、北上。


浄閑寺という今でもある寺の脇を抜け、左に曲がり、
往還の下を潜る。これが都電の駅名に残っている三ノ輪橋


そして、今度は南に向きをかえて根岸川と名をかえて
根岸方向へ流れていく。


「件(くだん)の安売り飯屋は、往還から西へ切れこんだ小川に
架(か)かる橋のたもとに在った。(中略)
 根岸川の向こうは大名屋敷の下屋敷と田地と雑木林で(後略)」


と、いうことで、三ノ輪の橋の手前、左に曲がった先の
橋の袂がその飯屋の場所である。


江戸の地図で場所がほぼ特定できよう。


鬼平」に限らず「剣客商売」「仕掛人藤枝梅安」と
江戸を扱った先生の作品は場所の設定が実在のところに
ほぼ同定できる。(時代小説としては、珍しいと思われる。)


ここに汚い浪人に身をやつして入っていって
出された定食。丼飯と大根の切漬け、そして、
表題の『里芋とねぎのふくめ煮』。これが七文。


今の昭和通りは三ノ輪からそのまま千住大橋を渡るが、
江戸の頃は、牛頭天王社(今は素盞雄神社という名前)にぶつかって
右に曲がり、浅草からくる奥州街道の本道に合流する。


ここから大橋までが千住宿


今は南千住だが、江戸の頃は大橋を渡った向こう側の今の
北千住と合わせて千住宿で、北を大千住、南を小千住と
いっていた。


江戸の頃のこの三ノ輪界隈は、往還沿いは町で、おそらく
往還を通る人々相手の、笠などを売る店、あるいは、
簡単な食いものや、その他、商店があったのであろう。
しかし、往還一歩外れると、もう田畑や、林、藪などがある
江戸も郊外の田園風景が広がっていたのであろう。


今の三ノ輪に行かれたことがある方はお分かりになろうが、
とても江戸の頃の面影はない。
建て込んだ下町で、山谷堀も根岸川も今はなく暗渠となっている。


だが、まあ、江戸の頃の辺鄙だが、往還沿いで交通には便利なところ、
であるともいえる、そんな場所で七文で食わせる、定食。


二八蕎麦などというが、当時蕎麦の値段が十六文でそれよりも
格段に安い。


ふむふむ、これはなにかある!、


と、平蔵先生の感働き、なのであろう。



おそろしく、前置きが長くなってしまった。


帰り道、里芋を買って帰宅。



帰ると、まず、炭を熾す。


同時進行で、里芋を金だわしで洗う。


きれいに洗ったら、一口に切って、酒、しょうゆで煮る。


炭が熾きたら火鉢に移し、鉄瓶もガスレンジのかけて
熱くしておく。


小さく切ったので、里芋はすぐに煮える。
里芋が煮えたら、五分(1.5cm)に切った長ねぎを入れ、
ねぎに火が通れば出来上がり。


鉄瓶が熱くなれば、一合徳利に酒を入れ、
燗をつける。






里芋とねぎを、器に取って、終了。





燗もすぐにつく。



里芋とねぎのふくめ煮。



こんなものだが、燗酒とともに、うまいもんである。