浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



入谷(下谷)・手打そば・川しま


11月3日(土)第二食


さて、土曜日、毎度のごとく、そば屋、で、ある。


近所の知っている、あるいは、行きたいと思っていた、
そば屋は、ほぼ、行きつくした感がある。


むろん、上野浅草界隈、そば屋はまだまだあるのだが、
行ってみたいと思う、ところは、こんなところ、ということである。


書いていないが名の知れたそば屋もある。
敷居が高そうだったり、行ったことはあるが、再び行きたいとは
思わないところ、と、いうこと。
いわば、まあ、筆者の趣味、で、ある。


この断腸亭料理日記は、誰が見ても
公平で正しい浅草上野案内ではなく、
筆者が読者の皆様に伝えたいことを書いている、
と、いうことなのである。
今回のそば屋であれば、こんなにそば屋を知っています、
と、いう自慢をしたいわけでもなく、
リストとして網羅することが目的ではないということ。


「日記」という名前をつけている通り、筆者の生活を舞台とし、
食を主なテーマとする、いわば、エッセイのようなもの。
ある意味ではフィクション、作品として読んでいただきたい、のである。


ともあれ、まだいったことのない、そば屋。
今回、少し調べて、入谷(下谷)の川しま、と、いうところ。


午前中、今週は、家で座って声を出し、少し、落語の稽古をする。


次の落語会はいつにしようか、まだ決めていないのだが、
どうも職場の忘年会でやらなければならないことに
なりそうなのである。
そこで、忘年会用と、落語会用で二席の稽古、で、ある。


1時前、引続き稽古ついでに、徒歩で出かける。


元浅草から清洲橋通りを北上。
浅草通りをつき抜け、清洲橋通りは、言問い通りと
昭和通りの交差点に出る。


この交差点は入谷の交差点。
日比谷線入谷駅、でもある。


昭和通りを渡り、言問い通りも渡る。
目的の、そば屋は昭和通りと並行する、言問い通りから
北側に入る路地にある。


この界隈の昔は一度書いている。


田端から


昭和通りは国道4号線。三ノ輪から先は、日光街道になる。
江戸の頃の、奥州日光街道は、正確には、日本橋から馬喰町、浅草橋、
浅草を通り、小千住(小塚原、今の南千住)を通るルートであった。
しかし、こちら側の、上野山下から、坂本、金杉、
三ノ輪を通るルートも、ほぼ、街道といってよい
賑わいをみせていたようである。


この通りは今は、金杉通りと呼ばれており、
昭和通りよりも一本西側に湾曲して北上している。
以前には、都電の走る、いわゆる、電車通り、でもあった。





今、この交差点は、入谷、であるが、江戸の頃から、
入谷、で、ある。
正式な地名は、坂本村で田畑もあったが、この地図にある通り、
通称、入谷、と、呼ばれていた。


明治に入り、下谷入谷町。
そこに、震災後、昭和通りが通り、さらに戦後、
昭和通りをはさんで、西側が下谷、東側が入谷、と、なった。


さて、手打そば、川しま。





ここにこういう店があった、と、いうのは知らなかった。
さほど新しくはないようである。


見たところ、ちょっと“趣味そば”風。
入ると、さほど広くはないが、落着いた雰囲気で、
座敷もあるようである。


お客は近所の人、と、いう感じであろうか。
年配の女性一人、などという人もある。


海老の泳ぐ水槽もある。
松翁やら、一茶庵系統、という感じで、あろうか。


ヱビスビールあります。」の札に誘われて、天気もいいので
ヱビスを瓶でもらう。


つまみは?なにがよかろう。
一通り、いろんなものがある。
いかの酒盗、という名前のもの。
塩辛とは違うのであろうか、頼んでみる。





身はなく、いわゆる、はらわただけを
塩漬けにしたもののようである。
文字通り、酒盗、ということか。
なかなか、うまい。


そばは、田舎やら、ゆず切り、芥子切り。
天ぷら、鴨せいろ、つけとろ、おろしなどなど、一通りある。


ノーマルなせいろにしてみる。





腰があり、しゃっきり。
そばらしい香りも強いように思われる。


うまい。


つゆもさすがに下町、で、ある。
濃くて、たっぷりとあり、よい。


うまかった、うまかった。


なかなかよい店ではなかろうか。






台東区下谷2-6-13
03-3875-6868