浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



東京の路麺のこと〜小島町・路麺・アヅマ その1

12月21日(水)朝

いつもの朝。

まあ、実際は、いつも、ではないのだが、
ご近所、春日通りと清洲橋通りの交差点角にある、
小島町の路麺[アヅマ]に寄る。

“路麺”というのはなん度も書いているが、
独立系=個人営業の立ち喰そばのこと。

東京下町中心部といったらよいのか、
台東区中央区千代田区あたりになぜか多い。

“路麺”はアパレルなどのブランドショップでデパートなどの
テナントではない、直営の店舗を“路面”店などというがそれを
もじっている。
独立して道路に面している店というので路面なのであろう。

東京にも立ち喰そば店は多い。

駅そばなどともいうが、駅に入っているところ。
あるいは、駅には入っていない、チェーン店。
富士そば]だったり[小諸そば]だの。
これも東京にはなんチェーンもある。

つまり、それ以外の立ち喰そば店。
ほぼ一軒、あっても2〜3軒までの
個人営業、または限りなく個人営業に近い店。
これを私は“路麺”と呼んでいる。
(私が作った言葉ではないが。)

“路麺”の歴史というのは定かにはわからないが、
戦後のことのようである。

それこそ江戸時代は、落語「時そば」に出てくるような
屋台で売り歩くものがあった。
これがいつ頃なくなったのかもよくわからない。

こんな本が出ている。
「ちょっとそばでも
大衆そば・立ち食いそばの系譜」
坂崎
仁紀著


この方は東京に限らず、また“路麺”に限らず駅そばも含め
全国を食べ歩かれており、まあ、立ち喰そばの
オーソリティーといってよろしかろう。

これによれば、戦前の昭和12年銀座に夜泣きそばの屋台が
あったとしている。この屋台がまさか江戸の担い売りと
同じ形であるとは思えないが、まだこの頃、店舗ではない
そばやがあったということである。

一方で、これは東京からではなくなぜか北海道が
多かったようだが、駅の立ち喰そばというのは、
明治の頃からどうもあったらしい。

やはり、駅そばの方が古そうである。

坂崎氏によれば戦後、闇市から食糧事情が多少よくなり、
露店が取り締まられ、リヤカーによる移動販売になり、これも
東京オリンピックなどを契機に、姿を消し、
今残っている東京の“路麺”の多くはこの昭和30年代から
40年代に多く開業しているという。

なるほど、やはり、意外に新しいのである。

また、今あるチェーンの「六文そば」「富士そば
小諸そば」はその後の昭和40年代後半に相次いで
創業しているとのことである。
高度経済成長期の馬車馬のように働くサラリーマン達の
はやい、うまい、安いというニーズに合っていたのであろう。

さて。

「ちょっと・・」で坂崎氏はあまり深く触れられていないのだが、
私は、東京の“路麺”の特徴といえば、どうしても種類の多い
天ぷらにとどめを刺すように思う。

これは東京のチェーンにもなく、個人営業の
“路麺”固有のものである。

玉ねぎを主体にした野菜のかきあげなどは定番として日本全国ほぼ
どこの立ち喰いそばにもあるが、それ以外、で、ある。

かき揚げでも、春菊は東京の路麺では定番。それから、ごぼう、にんじん、、、。
変ったところでは、紅しょうがなどもかき揚げにする。
魚介系では小海老、あさり、貝柱のかき揚げ。尻尾のある海老、ちくわ、
いか、いか下足、鯵、あたりは比較的ノーマルな品揃え。
穴子天一本ど〜ん(日本橋「そばよし」)というところまである。

そして、よく話題になる変わり種。
なんといっても、コロッケ。
ポテトコロッケ、で、ある。
変わり種だが“路麺”ならば、ほぼどこにでもある。
天ぷらではなく、フライもの。(まあ冷凍であろうが。)
フライもののコロッケをそばにのせようとは、
まったく、だれが考えたのか。
おまけで、メンチ。

ソーセージ。
それも、魚肉ソーセージの長いやつ。
そして、これはフライではなく、天ぷら。

「ソーセーヅ」に読めるのは、ご愛嬌。

この写真のように、鮨やのガラスケースのようなところに
揚げ置きのものがストックされている。

注文が入ってから揚げるところもあるが、
大方はこんな感じで置かれている。

逆に普通のそばやにある、きつねやたぬきというのも
品揃えとしてメニューある店が多いが、ほぼ頼んでいる人は
見たことがない。

お客は皆がなにかしら天ぷらをのせてもらう。
ほとんどは、野菜のかき揚げ(ただかき揚げと呼ぶ人もいる。)、
次は、春菊であろう。
その他は、しょぼしょぼ、かもしれない。
効率を重視するチェーンは品揃えとしてその他の天ぷらを
置かないのは、あたり前かもしれない。

ともあれ。

コロッケはともかく、私が好きな春菊天そばやらは
“路麺”以外どこへ行っても食べられない。
東京の“路麺”の専売特許である。

問題はなぜこんな、天ぷら中心のバラエティーある具材群に
なったのか、で、ある。

これは想像であるが、ニーズというよりも
シーズ寄りの発想だったのではなかろうか。

そばに天ぷらをのせるというのは、普通のことである。
そして、天ぷらの種を増やすのは比較的簡単である。

揚げ油なども含めて、野菜かき揚げの用意をするのであれば、
春菊を用意すれば春菊天ができるし、魚肉ソーセージに至っては、
日持ちもするので、かなり有利な具材であろう。

もう一つ“路麺”が次々にできたという昭和30〜40年代、こういう
たくさんの品揃えをするのが流行ったのではないか、ということ。
今また復活しているが、たくさんの種類のおかずを用意して、
お客に選ばせる大衆食堂でき始めたのも、同じ時期ではなかろうか。
そしてこれが当たった。
想像ではあるが、かなり確度は高そうである。

 

 

つづく

 


台東区小島2-20-6