浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



路麺・御徒町・よもだそば・春菊天そば~家庭の天ぷら、春菊天考察

4530号

3月21日(木)第一食

春菊天そばが食べたくなった。
もちろん、路麺、立ち喰いそばの。
時として、無性に食べたくなる。

拙亭から自転車ですぐ行ける路麺は、今はだいぶ減って
昭和通りの[かめや]、浅草駅の[文殊]、御徒町駅
高架下の[よもだそば]あたり。

で、今日は[よもだそば]。

ここの春菊天は、形よく広げたもの。

形はよくカラッと揚がっているが、春菊が少ない、
天ぷらとしての容積が小さい、というの、が、減点ポイント。

路麺の天ぷらは、カラッと揚がっているのもよいのだが、
喬太郎師も「コロッケそば」でいっているが、基本、つゆに
崩して食べるものなので、必ずしもカラッと揚がっている
必要はないのである。それよりは天ぷらとして食べ応えが
優先される。

さて、春菊天そば、で、ある。

春菊天そば、というのはいったいなに者であろうか。
毎度、のことだが、はたと、考えてしまった。

駅構内の立ち喰いそばやにはほぼないと思う。
しかし、おそらく東京の路麺、街の個人営業、または
それに準ずる立ち喰いそばやにはまずあって、ノーマルな
かき揚げに次ぐ売り上げではなかろうか。
私だけでなく、人気であると思う。
駅そばにないので、より東京ローカルなメニューといって
よさそうである。

なぜであろうか。
まあ、うまいから、なのだが。

そもそも、春菊天というのが、天ぷらとしては家庭以外では
レアなのではなかろうか。
(まあ、路麺では、春菊はおろかソーセージまで天ぷらに
しているが。)

東京の天ぷらやでは、今はともかく、伝統的には
魚介類のみで、春菊はおろか野菜天自体を揚げてこなかった。
現代においては、山菜などのちょっと珍しいものは
プロの天ぷらやでも揚げるが、ありふれた春菊など
出さぬのではなかろうか。少なくとも私は見たことがない。

つまり、飲食店では、路麺以外ではない天ぷらである。

自分自身を考えると、春菊天は子供の頃、家の食卓に
あがっていた記憶がある。
まあ、春菊など子供の好きなものでもないのだが、
安いし、おそらく父親が好きだったと思われる。
ちなみに父方は代々東京者である。
私も、成人してから鍋に入る春菊も好きになったし
春菊天そばも好きになった。

ともあれ。

そうである!。
ちょっと、盲点であったが、春菊天に限らず、そもそも
家庭で天ぷらを揚げるようになったのはいつ頃なのか。
家庭料理としての天ぷらの歴史である。
これ、知らない。

一度、ちゃんと調べねばならなかろう。
だが今、ちょっと推測で書いてみよう。

天ぷらという料理は、江戸期の江戸発祥といってよい
ようである。むろん、安土桃山から江戸初期、ポルトガルなど
南蛮から入ってきた。
天ぷら粉の昭和産業のページに記述があった。これによれば、

長崎などにも入ったが、定着、広まったのはやはり
江戸初期の江戸であったよう。やはり庶民相手の屋台。
だが、なぜ江戸であったのかは、不明なのか。

では江戸期の江戸庶民の家庭で天ぷらを揚げていた
のかといえば、それも考えずらいと思うのが私の推測。

今も、江戸前天ぷらは胡麻油を使うが、当時の精製、
精油技術は高くなく、搾っただけでも食用に使える
のは胡麻油だけであったから、ということを聞いた
ことがある。
やはり高価で庶民が日常使いできるものでは
なかったのではなかろうか。
また、天ぷらを揚げるのも技術的に簡単ではない。

先の昭和産業によれば、全国に天ぷらが広まったのは
大正期の関東大震災後。これはプロの、か。

そう。おもしろいのは、意外かもしれぬが、江戸初期から
明治まで300年前後になるのか、かなり長い間、天ぷらと
いうのは、江戸東京のみの料理であったというのである。
(関西から四国九州で天ぷらといえばさつま揚げを指すのも
そういうことかもしれぬ。)

東京にいるとあたり前の天ぷらだけを出す天ぷらやだが、
私の経験値としても大阪、京都にしても、名古屋にしても、
全国的には街にはそう多くはない。
もちろん、今、全国の料亭、和食店、居酒屋などには一つの
メニューとして天ぷらはあるが、こと天ぷら専門店というと
少ないはずである。これも歴史のなせる業である。

で、おそらく東京の家庭では震災後、昭和初期。
この時期には、家庭でじゃがいものコロッケを揚げているのが
確認できるので、コロッケを揚げていれば、揚げ油があって、
天ぷらも揚げていようというのが私の推測。

で、春菊天はこの昭和初期東京の家庭では揚げていたと
考えてよいのではなかろうか。初期、同様にさつまいも
なども揚げていたと思われるが、なぜ春菊を揚げる
ようになったのか。
東京生まれの私の父が家庭で揚げる春菊天が好きで
あったのが裏付けの一つではある。
また、先にも書いたが安く、うまかったというのは
あろうが、最初はおそらくなにかきっかけがあった
はずである。店ではないとすると、当時新聞の家庭欄や婦人雑誌に
料理の紹介記事などは既にあり、そのあたりがきっかけ
であったのかもしれぬが、わからない。(これ私の宿題)

そして、同じく昭和産業によれば全国の一般家庭に
天ぷらが広まったのが、戦後、とのこと。高度成長期、
庶民の暮らしがよくなってから、ということに
なりそう。

この同時期、東京の街の路麺、立ち喰いそばやが発生して
いるので、むしろ東京の家庭で揚げていた春菊天が逆に
路麺でそばにのせられるようになった、のではなかろうか。

さて、春菊天そばから、天ぷらの歴史にまで話が
飛んでしまった。
推測部分も多いのだが、東京の街の立ち喰いそばやで
春菊天そばが存在するのは、こんな歴史的経緯が
あったから、と考えてみた。
いかがであろうか。

ともあれ。家庭の天ぷらの歴史も含め私の宿題として
ちゃんと調べよう。

 

 

 

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