浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



歌舞伎座十月大歌舞伎 通し狂言義経千本桜 その3

dancyotei2013-10-15



引き続き「義経千本桜」通し。



弁当を食べて、二幕目。



『渡海屋』『大物浦』という、二場ということになるのか。
幕が開くと、渡海屋という廻船問屋の店。


一幕目の義経やら静やらが出ていた、時代ものから
一気に、世話物のような雰囲気になる。


時代もの、というのは平たくいえば、時代劇。
つまり、この作品ができたのは江戸時代なので、
それよりも前のものは、時代物、ということになる。


これに対して、世話物というのは、当時の現代劇。
内容的には、庶民の話を扱ったものがほとんどで、
庶民の話、と、言い換えてもよいのだろう。


台詞の言葉使いも、(主として江戸弁の)口語になる。


その渡海屋の主(あるじ)が吉右衛門演じる、銀平。
吉右衛門というのは、鬼の平蔵先生でもあり、こういう役も
実によくはまる。





これは、幕末、安政6年 (1859年)江戸、中村座 画豊国。
八代目片岡仁左衛門の銀平。


この衣装が太い綱の柄(がら)で船乗りというのか、
廻船問屋の主人らしい雰囲気。


吉右衛門の銀平は踵あたりまである丈の長い半纏のようなものを
羽織っている。


この模様は、イヤホンガイドではアイヌのもので、
漁師や船乗りが着ていたという説明をしていた。
白地に青い幾何学的な文様で、なるほど、そんな感じ。


こんな感じで、世話物風に話が始まるのであるが、
段々に時代物になり、あるところから、銀平は実は、
平家の落人知盛であり、小さな女の子が渡海屋に
幕開の最初からいるのだが、これが実は安徳天皇
最後、知盛は絵のような大きな碇のついた綱を身体に巻きつけ、
仰向けに海に飛び込み、壮絶な最期を遂げる。
安徳天皇が女の子という設定なのもおもしろい。
歴史の教科書では男の子ということになっている。
が、安徳帝女性説というのもあるそうである。)





文政8年(1825年)江戸、市村座 国安画、知盛は二代目関三十郎。


先のものよりも少し古い。


吉右衛門の知盛は、壮絶な血染めの白い鎧姿なのだが、
この浮世絵は白くはないし血染めでもない。これは明治になってからの、
九代目團十郎の、よりリアルに、という工夫という。


もう一枚は典侍(すけ)の局と幼い安徳天皇





同じ頃、文政11年(1828年)江戸、市村座 国安画。
安徳天皇は市川団子、典侍の局は二代目岩井粂三郎。


筋を書かないと、なんだかわからなかろうが、
筋を書いたら、さらにわからなくなるような気もする。


この話「義経千本桜」全体が、平家滅亡後の義経の話。


平知盛は史実は、ご存知の通り、壇ノ浦で安徳帝などとともに、
海に飛び込み、滅んでいる。
この時、知盛は水死体が揚がるのを恐れて、碇を担いで飛び込んだ
との伝説があって、これが下敷きになっているよう。


「千本桜」では、知盛や安徳帝は壇ノ浦で逃れていた、という設定なのである。


この幕では主人公は義経ではなく、平知盛
義経は出てくるが、知盛からみると敵役になる。


最初の幕は義経を中心に描かれている話。
全体としてもやはり、義経が中心なのだが、この幕だけは
例外ということになる。


当時、知盛という人も義経ほどではないにしろ、
人気があったことが想像できる。


筋は複雑なのだが、劇中に入り込むとそれなりに
理解はできるような作りになっている。


脚本としてもなかなかよくできた幕なのではなかろうか。


また、先に書いたように、明治になっても衣装の工夫などあり、
継続して観客の人気があったことも裏付けられる。


吉右衛門はさすがの名優といっていってよいのであろう。


知盛の最期の、崖の上から仰向けに海に飛び込む場面は、
観客側に身体を向けて後ろへひっくり返る、という荒業
(あらわざ)をしてのける。


むろん後ろには怪我をしないようなクッションなどの、
“受け”があるのだろうが、観ている方は大いに度胆を抜かれる。


さて。


昼の部、もう一幕。


『道行初音旅(みちゆきはつねたび)』。


最近、私も歌舞伎トウシロウながらやっとわかってきた。


歌舞伎には"道行"という決まりものの幕がある、ということ。


一応、お話はあるのだが、半分以上踊りの幕。


ちょっと、息抜きの幕、と、いうことになるのか。


この幕はほとんどのお話は、伴奏である浄瑠璃で語られる。


(言葉の使い方が難しいのだが、ここで言う浄瑠璃とは、
人形浄瑠璃そのものではない。人形浄瑠璃は人形劇なので、
当たり前だが、人形は喋れない。それで、太夫という語り手が、
三味線に合わせて節をつけて台詞やト書きを語る。
これを狭義に浄瑠璃、と、いうのである。義太夫節がその代表。
(落語「寝床」で旦那がやるあれ、で、ある。)


素人には浄瑠璃(語りの方)は、まず聞いても、
なにを言っているのか聞き取れない。私の場合も、
イヤホンガイドは必須である。
口語ではないが、左程むずかしくはないので、
おそらく普通に喋ってもらえれば聞き取れるし、内容も
理解できるのだが、あの独特の節が付いてるので
聞き取れないということになる。


ちなみに、最初に書いているように「義経千本桜」は
人形浄瑠璃から移されたものなので、全編、この浄瑠璃
語りと三味線が付いている。役者が喋る台詞+浄瑠璃の語りで、
物語が進行していくのである。
台詞を役者が言って、ト書きを浄瑠璃の語り、と
いうところもあれば、浄瑠璃の方で台詞まで語って
しまうところもあり、決まっていない。


同じ人形浄瑠璃から移された丸本物はすべて、この形式である。
ex.「忠臣蔵」なども。)





今日はここまで。



明日につづく。