浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



鳥越祭2017 その2

dancyotei2017-06-14

6月10日(土)

さて。

土曜日。

どうしたわけか、鳥越祭というのは夜、なのである。

三社祭の回にも書いているが、土曜が各町の町神輿(まちみこし)の渡御。
日曜が、神社の宮神輿(みやみこし)である、本社神輿の氏子各町の渡御。
この近隣の祭はほぼこの形に決まっているのである。

例えば三社の場合は町神輿は土曜の昼間、担がれるのだが、
鳥越の場合は、土曜日の夕方から夜に担がれる。

神輿には提灯が取り付けられて、灯が入る。

鳥越の夜祭などといわれるがこれが美しい。

なぜ夜なのか。

この界隈は職人の町だったので、昼間は仕事がある、
というのが理由として語られることがあるが、真相は
よくわからない。

そんなことで、土曜も、お囃子なども聞こえないこともないが、
昼間はいたって静か。

私は、QB(床屋)へ行ったり。

いつもの路麺[アヅマ]。

祭提灯は出ていないが、注連(しめ)縄は張られている。

夕方までの時間は、どうもやっぱり、呑んでしまう。

夕方から夜の連合渡御は5時集合。

断っておくが、私は担がない、担げないのだが、
やっぱり、鯉口のシャツに半纏を着て、帯も締める。
(格好だけは、それらしい。)
ただ、素足に雪駄(せった)。

本当に担ぐ人は、足は地下足袋、草鞋(わらじ)。
素足、あるいは草履(ぞうり)履きではとても担げなかろう。

毎年のことだが、連合渡御の前に七軒町では
町内の白鴎高校の太鼓部の皆さんが太鼓の演奏を
披露してくれる。
これが景気がついてよい。

太鼓の音が聞こえてきたら、家を出る。

左へ曲がると神酒所だが、

鳶頭(かしら)衆。

背中に、わ組。

毎年、決まっている。

準備は神輿の組み立てその他、
祭最中も、様々、裏方で支えている。

鳶頭と書いたが、トビカシラ、でカシラと読める人は
そう多くはあるまい。

落語好きの方はカシラというキャラクターには
馴染みがあるかもしれぬ。
落語に出てくれカシラを漢字に書くとこの字(鳶頭)を書く。

まあ、いわゆる鳶(とび)の方。

江戸の頃は、江戸町火消、いろは四十八組。
その末裔。むろん今は火消しはしていない。

濃紺に赤い筋の入ったいわゆる役半纏を着た
人が本当の意味で、頭、なのであろうが、
若い衆ではなく、そこそこ年のいった鳶の方を
敬称として鳶頭(かしら)と呼んでいたのだと思われる。
(落語によく出てくる、どちらかといえば三枚目のキャラクターは
こちらであろう。ただ「三軒長屋」の鳶頭は本当の役付きのカシラだと
思われる。)

神酒所前。

既に、神輿が置かれて準備万端。
これ町会の神輿にしては、立派だと思われまいか。
結構大きいのである。

鳥越の本社神輿は千貫神輿などといって、
3tもあるのが自慢だが、やはりそれにつられて、
町神輿も大きいのではなかろうか。

細工も立派。

最初に職人の町と書いたが、この界隈、古くは錺(かざり)職などと
いったが、簪(かんざし)や神社仏閣の錺金具を作る金属加工の
職人、あるいは、木工の木地師、木彫師、漆などの塗りを施す塗師(ぬし)等々
関連する職人衆が集まっていたのである。
材木問屋も数軒あって、いわばお手の物であったのだと思われる。

ちなみに池波先生が育たれたのは当町内の隣の永住(ながすみ)町。
先生のお祖父様はずばり錺職であった。

白鴎生の太鼓も終わり、そろそろ。

路面に水が撒かれているのがわかるであろう。
これは担ぐための棒を留めているわら縄を湿らせたもの。
むろん、〆るためであろう。

準備。

担ぎ手が、棒に取り付く。

台の上に立っているのが、睦(むつみ)の代表。
(睦は鳥越特有の名前だが町内会内の神社氏子組織の名前である。)
合図のための拍子木を持っている。

後ろから帯を持っているのは鳶頭。
これはお決まりの形。

神輿が前に出てきて押しつぶされぬように、
代表は自ら仰向けに倒れるのである。
それを鳶頭は支え、受ける。

代表の注意事項などあって、手締め一本、と、ともに
拍子木、カンカンで、神輿が上がる。

すぐに左折。
東に向かう。

毎年のことだが、土曜の町神輿の連合渡御には
白鴎高校の生徒諸君も参加する。
彼らも徐々に棒に取り付いていく。

 

 

つづく