浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭の夏休み2023 慶良間~八重山 その17

引き続き、竹富島集落。

エアコンの効いたレストランで、タコライス
沖縄そばを食べて、再び外へ。

集落といっても、狭い範囲に固まっている。
車はすれ違えない幅の狭い路地。

そこに、牛車。

といっても、そう、水牛。

竹富島観光というと、真っ先にこれが出てくる
のであろう。
あまりにも暑いので、我々はとても乗る気にならなかったが、
人気。

水牛?。
なんであろうか、こいつ。
元々いたの?

ちょいと調べると、沖縄県立図書館の資料

こんなものを見つけた。

「『沖縄大百科事典 中 ケ~ト』(沖縄タイムス社、1983年)
 p508 「水牛」の項によると、インド水牛に由来する台湾水牛が
台湾からの移民によって1933~38年に60頭石垣島に導入され、
70年には1400頭に達したが以後減少。沖縄の高温多湿の気候に
よく適応し、石垣島では湿田作業に欠くことのできない役畜」
とある。

なるほど。

まず、水牛はやはり元々いたものではなかった。
戦前、当時日本統治下にあった、台湾からの移民が
連れてきた、稲作などの農作業用。
今は、完全に観光用のみ、らしい。
台湾から移民があったというのも、私は初耳。
やはり、この距離である。さもありなん。

さて。
この東集落の中央あたりに、こんなものがあった。

鳥居が建ち、やはり環境省の案内板があり、西塘御嶽と
いうよう。読みはニシトウオン、と。

西塘(ニシトウ)というのが人の名前。
1500年、日本でいえば室町末から、戦国時代。
この人は、竹富島の出身で建築技術者として琉球王府の
役人になり、出世。
八重山の頭職」として竹富に戻り、島に蔵元(役所)を置いて
八重山全体を統治した、とのこと。
島の歴史上実在の偉人ということになろうか。

ここは西塘の屋敷であったが、死後墓になり、のちに
島の守り神として祀られた、という。

この西塘御嶽の前には、まちなみ館という住民の
集会所があって、今も人々が集まると参拝する、と。

お参りをし、中の写真を撮らせていただいた。

外に鳥居があって、中に賽銭箱はあるが、やはり、日本の
神社のような社殿ではなく、石の祠といった趣き。
背後にサンゴ石灰岩の石垣が見えている。
いや、見せているといった方がよいか。
祭壇、でよいのか、の両脇に三つ巴紋が一対あるが、
なんであろうか、これは。伝統的なものなのか。
ちょっと、取って付けたようにも見えるか。

沖縄の神聖な場所をじっくりと見るのは初めてである。

今も人々の信仰の場所なので、興味本位、観光気分で
入る場所ではない。
しっかり案内板も置かれ、オープンな様子なので、
今日は拝見したのだが、こうしてしっかり見ると、
やはり、私にはかなり興味深い。

西塘御嶽の、「御嶽」。
そもそも、これはなんであろうか。

琉球、沖縄の伝統的宗教について、
はなはだ浅いのだが、ちょっと調べてみた。

ここの呼び名、御嶽と書いて、オンと読む。
これは八重山の言葉で、本島などでは、ウタキという。

琉球・沖縄の伝統的宗教について書き始めると、
複雑で長くなり、ウィキペディアの丸写しになりそうなので、
私の理解を、できるだけかいつまんで、書いてみる。

琉球・沖縄の神職は、女性が担ってきた。
まあ、これは一般によく知られているだろう。

信仰に関わる女性は二種類に分かれる。ノロとユタ。
正確にはノロ神職、神人(カミンチュ)で、
ユタはシャーマン。
シャーマンは日本にもある。口寄せなどというが、
死んだ人の霊をおろす、私的な呪術師。

御嶽・ウタキは集落に一つあり、その集落の信仰の中心。
ノロ祝女と書き、公的な司祭者で、様々な信仰行事を司る。

基本、琉球・沖縄の信仰は、祖先(霊)信仰という。

集落の中心的な家の祖先が集落の守護神となり、祀るのが
御嶽・ウタキで、その家が守る。

ノロはその家の女性、姑から嫁、あるいは娘に受け継がれる。
家は男系継承だが、神職ノロは女系継承になる。

かなりざっくりした理解だが、こんな感じでよいのか。

ここ、竹富島の西塘御嶽も、そういう意味では
古い有力者、祖先を祀る、祖先(霊)信仰といって
よいのだろう。

日本の神社とは随分趣を異にしているようだが、
氏神というのがもしかすると近いのかもしれぬ。
例えば、天皇家伊勢神宮藤原氏春日大社、、。
なにか大きな話になってしまうが、原初的には、
祖先神という意味では、類似しているか。
ただ、やはりその後の発展は随分と違っていよう。
日本の神社は氏に限らず、全国各地に信者が広がり、
分社、勧請という形で同じ神社がたくさんある。
琉球・沖縄の信仰はその集落と不可分の関係にある。
これが大きな特徴であろう。

ともあれ。
琉球王国の時代にこうした信仰が体系化され、
王家の娘がこの国のノロの最上位、その兄、弟が
王となる。こういうことのよう。

と、ここでもう一つ。

これ。

これは、先の慶良間渡嘉敷島の阿波連にあった鳥居。
ちょうど、ダイビングのボートが出る阿波連の港、
桟橋の近くにあったのだが、先の理由で、中に入るのは
遠慮した。

 


つづく

 

星のや・竹富島

 

 

 

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