浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



生玉子のぶっかけ蕎麦〜小柱かき揚げ その1

6月13日(土)第一食

さて、土曜日。

生玉子をかけたそばが食べたくなった。

この季節なので、冷たいもの。

以前にやってみたことがあるのだが、
ざるそばのざるに玉子をかける、という食べ方。

これは一般的な食べ方ではないと思うのだが、うまい。

そして実はこれ、池波レシピである。

先生のエッセイ集「ル・パスタン」(文春文庫)に出てくる。


ル・パスタン (文春文庫)

もう一つ、どこかは忘れてしまったが「剣客商売」で
おはるがざるの上で、生玉子を器用にそばに絡めて
食べるというシーンがあったと思う。

これを真似してやってみたのは近所の立ち喰そばだったのだが、
うまいことはうまい。しかし、想像してみるとお分かりになるかもしれぬが、
ざるの上で生玉子をそばに混ぜると、ざるを通って下に玉子が流れてしまい、
べちょべちょ。あまりきれいな食べ方ではないのである。

そこで、ぶっかけ。

ぶっかけであれば、そんな心配はない。

乾麺のそばを一把茹でて、つゆはいつのも桃屋のもの、原液。
ねぎを刻んで、生玉子を落とす。



よく混ぜて、食べる。

味は想像がつかれようが、こんなものだが、うまい。

逆に、もっと一般的でもよさそうである。

冷たいそばは今でも東京ではざるが基本で、ぶっかけ、というのは、
伝統的にもあまりやられてこなかった食べ方である。
定番になっているのは、冷やしたぬき、ぐらいであろうか。

従って、玉子だけを落としただけのぶっかけも
定番ではなかろう。

しかし、一方で、前にも書いた神楽坂[翁庵]の
かつそば、三越前[利休庵]の納豆そばなど、
店それぞれで考えられたオリジナルのぶっかけは、意外に
数多くあって、また、うまいものが多い。

東京のぶっかけ蕎麦、ねじれたような、ちょっと不思議な状況かもしれぬ。

さて。

夜。

昨日買った、小柱2枚(パック)。
1枚の1/3ほど刺身で食べて、残っている。

これをかき揚げにする。

昨日も書いたが、今東京の鮨やや天ぷらやで
使われている小柱は、大粒の北海道のもの。

どうであろうか。一粒の大きさで、倍以上はあろう。

江戸前のものも、今回の愛知県のものも大差ないが、
一粒の直径は、大きくても5mm程度。

ほとんど別物といってよいくらいかもしれない。
(実際に、生物分類学というのか、種が異なるほど
離れていないようだが、DNA解析をすると明確に違うようである。)

小柱は江戸前天ぷらのかき揚げでは、芝海老と並んで
今は大定番といってよろしかろう。
(ただ、大粒の北海道のものではなく、
今回の小さなものが元来の江戸前の小柱であろう。)

そして、やっぱり池波レシピ


食べ物日記―鬼平誕生のころ


「食べ物日記―鬼平誕生のころ」

に出てくるが、実際に奥様お手製の三つ葉と小柱のかき揚げが
よく食されているものとして登場する。

また、鬼平などにも「貝柱の[かき揚げ]を浮かせたそば」



新装版 鬼平犯科帳 (2) (文春文庫)


鬼平犯科帳(二)「蛇の目」)


などといって天ぷらそばとして複数回登場させている。

小柱かき揚げというのは、池波先生の好物であったのであろうし、
いかにも江戸前の天ぷら、かき揚げらしくみえる。
(私もむろん、好物である。)

では、本当にそうなのか。

実際のところ小柱のかき揚げは、いつ頃からどんなところで、
どんな頻度で誰に食べられるようになったのか。
毎度のことだが、断腸亭としてはこれを考えてみなければならない。

天ぷらの歴史は、同じ江戸名物の食いものの、にぎり鮨や、
うなぎ蒲焼と比べても圧倒的に古いことは想像できる。

安土桃山時代、南蛮文化とともに入ってきて、ポルトガル語が語源
であるという説があったり、徳川家康の好物で、死ぬ前に鯛の天ぷらを食べて
いた、なんということも言われているのは皆様ご存知であろう。

おそらく、江戸で庶民が食べる外食が盛んになるのは、やはり中期以降で
始りの頃の天ぷらやは屋台であったともいう。では、この中期以降がいつなのか
が大きな問題なのであるが、実際のところ、不勉強で明確な知識は
持ち合わせていない。

言い訳めくが、私の調べ方は現代からさかのぼって考えるのを
常としている。

まず、東京の天ぷらやの老舗でも江戸創業というのは
そう多くないようなのである。
どうであろうか、浅草雷門脇の[三定]で天保8年(1837年)
というのがあるがこのあたりが現在続いている暖簾では最古では
なかろうか。あとは同じく浅草の[中清]が明治3年。銀座[天国]が
明治18年、こんな感じであろうか。

そして、これらは皆、天丼(かき揚げ丼)を看板にしている。

以前に「丼もの考察」として、うな丼、天丼などの歴史を
明治初期から新聞記事をあたって調べたことがある。

これによれば、天丼はうな丼よりも後の明治の20年頃から登場している。
おそらく先に挙げた浅草などに残っている老舗の、甘辛いたれをたっぷりかけた
かき揚げ天丼は、明治のこの頃にどうも流行ったもののようなのである。

うな丼があり、その後に天丼ができたと私は考えているが
天丼が流行る前の天ぷらは、おそらく天ぷら単体であったと
思われるのだが、どんな店で、どんなものであったか。

そこで、毎度登場のもう一つの考証の切り口、落語に出てくる
天ぷらはどんなものか。

長くなるので、つづきは、明日。