浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



鮎飯のこと。その3

秋田で鮎を養殖されている方からの問い合わせに
端を発した、天然、養殖の鮎食べ比べ。
はらわたが苦いのかどうか、、筆者の結論、は
この議論は鮎飯にするなら、意味がなかった、ということ。


天然と、養殖。
塩焼きでは、今回のものは、天然の方がうまかった。


そんなところであろうか。


そういう意味では、養殖ものは、苦い、と言い切っていたこと。
筆者の記述は、誤りであったこと。
これは、お詫びしなくてはならない。


それから、養殖ものと、天然ものと、どれだけ差があるのか。
これは、本当は、もっといろいろな、天然ものを
食べないと、はっきりしたことはいえない。
そういう意味では、この件も、
『鮎ほど、養殖と、天然の差がある魚も珍しい』などとまで
言い切るのは、早計であったこと。
これも、お詫び申し上げる。
(しかし、おそらく、筆者のスタンスでは、そうそう、
お取り寄せはしないと思われ、また、わざわざ、産地に食べに行く、
ということもしないように思われ、結論は出ないかもしれないが。)


考えてみれば、普段よく食べている、
海の魚であれば、天然ものと、養殖ものの
違いは、まあ、ある程度はわかる。
(ハマチ、タイ、ヒラメ、マグロ、シマアジ、などなど。)


筆者の場合、子供の頃の記憶も背景にあるとはいえ、
鮎の場合、そこまで天然ものを食べておらず、
天然もの=うまい、という単純な思い込みは
どちらにしても、反省しなくてはなるまい。


さて、反省はこんなところにして、
書きたかったのは、池波先生の、鮎飯の話、で、ある。


鮎飯が登場した作品は、鬼平であったのだが、
池波先生と、鮎飯、といえば、埼玉県寄居の京亭という
旅館、であるようだ。


京亭は、「よい匂いのする一夜」


よい匂いのする一夜 (講談社文庫)


に、取り上げられている。
これは、先生の旅行記、と、いうのか、
お気に入りの旅館やホテルを記した、エッセイである。


そして、京亭は、池波先生の書生、を自認されている、佐藤隆介氏の
池波正太郎への手紙」でも詳しく書かれている。


池波正太郎への手紙


戦国時代末期、秀吉の小田原征伐の頃。
北条氏の支城である、武州鉢形城を舞台とした
忍者もの、忍びの旗 (新潮文庫) (新潮文庫)の取材のために、佐藤隆介氏が調べ、池波先生とともに
訪れたのが、当時はまったく無名であった、
この京亭という旅館であったという。


鮎飯は、今は、ここの名物になっているらしいが、
そもそもは、「家族だけで季節になると食べていた」
(「池波正太郎への手紙」:佐藤隆介氏)ものであったらしい。
それをなじみ客に出すようになったもの、とのことである。


そして、鮎飯だけでなく、この京亭は
池波先生の愛した宿、と、して有名になっている。


筆者は、この京亭には、残念ながら行ったことはないし、
ここの鮎飯も当然食べたことがない。


この京亭は、荒川にも近い。
北条氏の鉢形城址は、荒川をはさんだ対岸の山であるらしい。
荒川は、拙亭のある浅草を流れる隅田川の、はるか上流でもある。


荒川は、この寄居町から西にさかのぼると、すぐに、山合に入り、
ライン下りで有名な長瀞、に、なり、さらに上流は
秩父盆地へ分け入っていく。


京亭の鮎は、その荒川の清流の鮎、なのであろう。


寄居町東武東上線で池袋から、1時間半ほどで、あろうか。


ここには、筆者、行ってみたくもあるのだが、いかないであろう
とも、思う。ただ、鮎飯を食いにだけで、ここにいくのは、
お取り寄せをしたくない、というのと、同じような理由で、
今はしたくないこと、なのである。



さて、このあたりで、鮎飯のはなしは、お仕舞いであるが、
一つだけ、先の、佐藤隆介氏の「池波正太郎への手紙」を
パラパラ見ていて、思いがけない発見があったので、
書いておく。



この本は、少し前に買って、パラパラめくっただけで
読まずに置いておいたのだが、今回、鮎飯のことで、
確か、京亭のことが書いてあったと思い出し、
探してみたのであった。


この本は、池波先生の行けつけであった、食い物屋
などに、書生であった佐藤氏が今、再度訪れ、先生の当時の様子、
などを折り込んで、書かれたものなのである。


そこに、よくよく、みてみると、なんと、先日の神田猿楽町の
そばや、松翁が載っているではないか。


なんと、松翁は、「池波レシピ」で、あった。


筆者、これに気が付かなかったのは、実は、
「銀座日記」


池波正太郎の銀座日記(全) (新潮文庫)



に一部実名で書かれている部分もあるようだが、
ほとんどは、「蕎麦屋M」、と書かれていたからである。


ごく近所、文字通り、駿河台の山の上の、山の上ホテル
こもっていたのは、「銀座日記」にも頻繁に登場する。
山の上ホテルから、松翁までは、目と鼻の先。
遠くはないが、「まつや」よりは断然、近い。
蕎麦屋M」が松翁であったことに、気が付くべきであった。


一般にも池波正太郎が晩年よくいっていたことは、
あまり知られていない、のではないかと思う。


「銀座日記」では、日本橋高島屋特別食堂の野田岩は、
幾度となく、うるさいほど、実名で登場する。


実名を出していないのは、文句をいっている場合もあるが、
先生は、ある程度、意図があってのことであるともいう。
「松翁」も実名で書かれなかった、なにがしかのわけがあった
ことは想像できる。


ともあれ、この松翁の項で、佐藤氏は、こんなことを書かれている。


「近年の風潮では、蕎麦屋とも思えない凝った店構えや
店内の造り、器ぞろえなどで、(どうだ、恐れ入ったか!)
といわんばかりのエラソウな蕎麦名店がマスコミにもてはやされていて、
それをまた求道者気取りの蕎麦通たちがありがたがっています。
どうもそういう風潮に松翁は意識的に逆らっているような気がします。・・・」


と、書かれている。


そうなのです。
佐藤先生、よくぞ、おっしゃって、下さった。


私だけではなかったのだ。
それがいいたかったのです。
さすが、池波先生の直系のお弟子であられる。


ちゃんと、ご本も読んでおくべきでした。
まったくもって、おみそれいたしました!
(平身低頭)



「そば至上主義」と筆者は書いたが、
氏は、「求道者気取りの蕎麦通たち」とお書きになっている。
(長々筆者は書いてしまったが、先の引用させていただいた、
パラグラフで、事足りているのである。)


そうなのである、“求道者気取りに”、本当は、
『バーカじゃ、ねーの、アンタ達!』と、筆者はいいたいのである。


私の好きな、そばやは、そんなものじゃないのです、、。



人の好みにとやかくいう理由はない。
しかし、それが正しい、唯一のそばやであるという、風潮に
納得がいかないのである。


なんの話かわからなくなってしまった。
今日は、この辺で、お仕舞い、で、ある。