7月1日(日)夜
さて。
日曜日。
午後、御徒町方面に自転車に出たついでに、
吉池に寄る。
売り場を見ていくと、対面コーナーに
なんと“天然鮎”。
吉池でも天然鮎を見ることはほぼ今までなかった
のではなかろうか。
それこそ限られた料亭のようなところにしか
流通していないのではなかろうか。
どうしても手に入れたい時には、直接産地から
通販で取り寄せるしかなかった。
山口産とある。
それも表示の半額で一匹240円。
傍らに、養殖ものもある。
こちらは一匹200円。
実のところあまり変わらないくらい。
鮎といえば、塩焼きと鮎飯、で、ある。
鮎は、池波レシピ。
特に鮎飯については、七転八倒、かなりの試行錯誤を
したことがあった。
鮎飯というのは池波作品にはかなり多く登場する。
作品だけでなく、先生ご自身の大好物でもあったようである。
例えば鬼平、文庫版14巻「さむらい松五郎」。
同心の木村忠吾がさむらい松五郎という
浪人盗賊に間違われる話。
かけがいのない相棒であった密偵の伊佐治が命を失い、
自らの菩提寺に葬る。その帰り道、目黒不動に寄る。
ここで盗賊に、さむらい松五郎として声を掛けられ、
目黒不動門前の料理や[伊勢虎]に入る。
はなしがすんでから、伊勢虎名物の[鮎飯]が出た。
醤油の淡味をつけた飯がふきあがったところへ、頭をとった
新鮮な鮎を突き込み、尾先から引き出して骨をぬき、飯の中
へ残った魚肉をかきまぜ、飯茶わんへ盛って出す。
多摩川の鮎がここまで運ばれて食わせる、という設定である。
最近の新聞で今年の多摩川の鮎は近年になく量が多いとのことが
報道されている。
一時期、多摩川からは鮎が姿を消していたが、以前に
近い姿に戻っているといってよいのか。
江戸期、多摩川では鮎漁が盛んに行われていたことは
記録にも残っている。(福生市史1992年)
毎年将軍家には「御菜鮎」という名前で多摩川沿岸の川漁師たちに
納めさせていたようである。
鮎漁をしていたのは、上流は奥多摩の沢井、御嶽あたりから、
下流は世田谷の等々力、瀬田といったあたりまでの村々の名前が出てくる。
やはりその多くは大消費地の江戸へ出荷され、実際に、日本橋
魚河岸などには決まって鮎を扱う問屋もあったようで、商業的に
流通していたことようである。
目黒不動前の料理やで食べられたというのは、まあ、
あってもおかしくはなさそうである。
ただやはり、当時の江戸の人口と養殖もない時代の多摩川の天然鮎の
獲れた量を考えると、高価のもので、お金のある人のものであったことは、
現代以上だったのかもしれぬ。
池波作品のエッセイでは「よい匂いのする一夜」
に登場する埼玉県寄居の[京亭]という旅館。
もともと、鮎飯は宿の家族の方が食べる、いわばまかない料理
であったらしい。池波先生が書かれたのちは、鮎飯はここの
名物になり、鮎づくしの料理を看板にした料理旅館になっている。
ここのものは近くを流れる荒川の鮎。
さて。
吉池にあった天然鮎。
天然もの二匹と、養殖もの三匹を買うことにする。
天然の二匹は塩焼きに。
養殖は、鮎飯にする。
両方買ってみるのは、天然と養殖の違いをみてみたいから。
鮎の塩焼きは、ご存知のように蓼酢というもので食べるが
薬味用の赤い蓼は売っているが、青いものなど売っていないので
酢のみでよいか。
帰宅。
天然。
出してみると、
きれいな色、で、ある。
養殖。
こちらは
こんな感じ。
どうであろうか。
天然と養殖、色も模様も、形にしても、
ほぼ私には違いはわからない。
大きさもほぼどちらも同じくらい。
また、鮎というのはぬめりがある。
これも特に違いはわからない。
とりあえず、冷蔵庫に入れておく。
まず最初に米を研ぎ、酒、薄口しょうゆ、水、で、水加減。
昆布も一緒に入れておく。
この昆布は、今日は気合を入れて、特別に真昆布である。
出汁用のものでは最高級品といってよいのであろう。
炊き込みご飯の場合、酒を入れるが、
酒を入れると浸水の時間が長くなる。
それでまず最初に、米の用意、で、ある。
酒の量は多少少なめにしたが、2時間は考えておこう。
つづく