浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



鴨とねぎの鍋 その2

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4004号

引き続き、鴨鍋。

拙亭では毎年正月に食べる。

今年も甘辛のすき焼き風ではなく、
ねぎだけを一緒に焼き、しょうゆで食べるもの。

鴨とねぎの鍋は池波レシピ。
池波作品にはよく出てくるが、これは「剣客商売」。

剣客商売」はファンの方は先刻ご承知であろうが、
主人公の老剣客、秋山小兵衛が若い妻のおはると共に
鐘ヶ淵の隠宅に暮らしている。

鐘ヶ淵というのは、今は墨田区の最北部。
電車だと東武線に鐘ヶ淵という駅がある。
隅田川が西に屈曲しているところ。
すぐ北東に、荒川が流れており、狭い三角形地帯の
ようになっているところ。
私はこの荒川の対岸の葛飾東四つ木に住んでいたので
そこそこ土地勘がある。
荒川は隅田川の水を逃がすために明治44年(1911年)
着工したもので江戸の頃にはもちろん、まだない。
今は、二本の川の土手がランドマークのように高地に
なっているが当時であれば、真っ平らな田園風景が
広がっていたところのはず。

TV時代劇の「剣客商売藤田まこと版の鐘ヶ淵の
隠宅のことである。毎回登場し有名であったので
ご記憶の方も多かろう。
裏にうっそうとした林があり、さらに比較的近い
遠景に大き目の山が見えていた。
藪はあってもよさそうだが、遠景で山が見えるとすれば
筑波山であろうが、それもかなり遠い。今もあのへんで
山は見えなかろう。
むろん、撮影されていたのは京都近郊で山が見えるので
あろうが、ずっと違和感があった。

ともあれ。
おはるは、実家が関屋村という設定。
その実家から鴨とねぎをもらってくるというお話である。
関屋というのは、鐘ヶ淵の北西、京成線の駅がある。
鐘ヶ淵から直線距離で1.4kmほど。
まあ、隣の集落といった距離感であろうか。

昨日書いた、菅先生の研究によれば

「鷹将軍と鶴の味噌汁 江戸の鳥の美食学 (講談社選書メチエ)」
東京大学教授菅豊

鴨にしても他の野鳥にしても、食用に商売として獲る人々がおり、
流通しいた。比較的高価であったようだが、お金を出せば
買えるもので庶民でもたまには奮発して買うことも
あったのであろう。

おはるの関谷村のおとっつあんが、買ったものなのか、
獲ったものなのか。
おはるのおとっつあんでなくとも誰か近所のお百姓が獲り、
おとっつあんは手に入れた。これを娘婿である秋山小兵衛先生に
食べさせたいと譲ってもらったのではないか、というような
背景を感じされる。

菅先生の研究では江戸期の江戸近郊では、下総手賀沼あたりで
専用の猟具を使い、組織的に鴨猟が行われ、江戸の水鳥問屋へ
出荷されていたという。
今、我々が考える以上に産業化されていたといってよさそうで
鴨はお百姓が片手間に獲るようなものではなかったのでは
ないか、と。

またまた、脱線してしまった。
鴨とねぎの鍋であった。
鴨肉一枚。

これを切る。

ねぎも切る。

これだけ。
カセットコンロに鉄の小鍋。

脂身だけ少し切り分けて、脂を出す。

脂はたっぷり出したい。

鴨肉とねぎを入れ、焼く。

ねぎには炒めるようにしながら、脂をふくませる。

これ、鍋というよりは、鴨ねぎ炒め焼きといった
感じではある。
肉の方は、火が通るほど縮み、堅くなるので、
色が変わるくらいでよい。

ビールを開ける。

小皿に取り、しょうゆをたらし、

食うだけ。

こんなシンプルなものだが、格別にうまい。
まさに、堪えられない。
フレンチでタプナードのソースもうまいが、
これが鴨肉の最上の食べ方であると私は思う。

やっぱり、肉はうまいのである。
魚ばかり食べていた江戸人には、
そうとうなご馳走であったはず。
鶏もうまいが、やはり鴨はそれを上回る。
脂もいいし、鶏よりも味が濃い。

鴨の代わりに雁(がん)も食べたというが、
似たような味であったのであろうか。
まあ、今時野生の鴈を食べることもないと
思うのだが、どんな味なのか、ちょっと興味はある。

 

 

 

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