浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



たばこと塩の博物館・江戸の園芸熱

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2月22日(金)

さて、今日はお隣、墨田区の横川にあるJTの博物館、
たばこと塩の博物館」の特別展「江戸の園芸熱」を
観にいく。

昼すぎ、自転車で出る。

拙亭のある元浅草から春日通りを真っ直ぐ東。
大横川親水公園を渡った左側。
日本たばこ産業の施設。以前は専売公社の工場であったところ。

大横川というのは北十間川業平橋から南に掘られていた堀。
今、このあたりは暗渠。

たばこと塩の博物館」というと渋谷にあったと
記憶していたが、2015年にここに移転している。

初めてきた。まだ真新しいビル。
このあたり人通りも少ない。

自転車を置いて、入る。
受付のお嬢さんがいて、入館料100円。
格安である。
特別展も常設展もともに入れるよう。

さて、この展示会「江戸の園芸熱」とはなんなのか。
サブタイトルが「浮世絵に見る庶民の草花愛」。
展示されているのは、8割以上が浮世絵。

アートというよりは、庶民の植物にまつわる様々な
活動の考証史料の展示という側面が強かろう。

江戸時代の特に江戸での園芸植物はブームといってよいほど
盛んであったのは知られている通りである。
朝顔市、菊花展など毎年東京で開かれ、今もその名残がある。

江戸の園芸については2013年に江戸東京博物館
一度「花開く江戸の園芸」というのが開かれていたようである。

さかのぼると、最初、江戸前期は戸外での花見。
上野であったり御殿山であったり。

それが変わったのは、植木鉢の普及が契機とのこと。
やはり中期以降、享保あたりからのよう。

焼き物の植木鉢というのは、技術的にはそれ以前から
作られていたが限定されたものだけであったという。
だが需要が増え、瀬戸が中心のようだが植木鉢が多く
作られるようになっていったという。

植木鉢の普及と園芸の隆盛。
どちらが先か。
まあ、両輪だったのであろう。

当時、駒込染井の植木屋、という名前がよく登場するようだが
当初は、いわゆる庭などに植える植木屋が鉢植えも
作っていたようである。振り売り、いわゆるぼてい振りが町々を
売り歩く、露店が出る、植木の市が立つ、また専門店ができる。
浅草寺雷門の脇、門前には(鉢植えを売る)植木店が
長くあったようである。

栽培者は専門の植木屋から、いわゆる愛好家といわれる人々も
現れてくる。今回の展示では触れられていないが、よくいわれる
御家人の内職というのもあったのであろう。

また、本草学という学問が江戸以前、古くからあった。
これは薬草、薬草栽培を研究する学問。
こうした本草学、本草学者も園芸の研究に加わっていく。
花の形が特異な変化朝顔というのがあったが、
こうしたものの分類、研究にも本草学者が関わって
いたようである。

室(むろ)、今でいう温室という技術も現れる。
藁屋根を設けて風や霜があたらないようにしたもののようである

今はあまり飾らなくなったが、季節毎の特別な鉢植えが売られ、
飾るようになった。特に正月用に松や梅、福寿草の寄せ植え、
あるいは七草の籠の類である。
私の子供の頃にはまだ街の園芸店などで季節になると
売られていたものである。

梅や福寿草は、正月よりも少し前に花を咲かせなくてはならない。
室はこのための技術であった。

そんなことで、上下を問わず、江戸中に草花、植木を身近に
たのしむ習慣が広まり、愛好家、マニアという人も現れ、
ブームといえるようなこともたびたび起きるようになっていった。

またこの展示で紹介されているのは「見に行く花々」。
春の花見はむろん桜だが、秋の菊。菊は今でも人の形などに
仕立てたものが作られているが、巣鴨、染井、駒込といった
ところ、あるいは両国などの盛り場で菊細工の見世物が
文化後半から盛んになっていった。
また、亀戸の梅屋敷なんという、梅の花を見せるための
植物園のようなものも現れる。浅草に今もある遊園地、
花やしきも元来は名前の通り、花を見せるための見世物が
スタートである。
あるいは、向島の百花園。あれも隅田川花屋敷といって
四季の花々を見せるために個人によって作られ、江戸人は
隅田川向島遊覧と花をたのしみに出かけるようになった
のである。

最後に「役者と園芸」。これは主に三代目音羽
尾上菊五郎。彼の園芸熱にまつわる役者絵が集められている。
時代は幕末。團十郎だと七代目、八代目の頃。

三代目菊五郎の植木好きは有名で、やはり向島の植木屋を
買い取って植木をたのしむための別荘にしていたほど。

その他、まだまだ興味は尽きぬのだが、このあたりにしよう。
この「江戸の園芸熱」個人的にはとても興味深く
観ることができた。

今から見ると随分驚くこともある。
今、あまり流行らないと思うが、万年青。
オモトと読むが、観葉植物である。
この手の今でいうマニアに好まれたもの、植物も高価だが、
鉢も高価。あるいは、松葉蘭。これなどは存在すら知らなかった。
羊歯(シダ)の類だそうだが、今でも求めようとしてもかなりの
値段がする。
あるいは、サボテン。え?、江戸で栽培されていた!。
驚き。万年青、松葉欄などと並んで定番であったようである。

東京で生まれ育った私にはそこはかとなく江戸の園芸文化、
園芸好きの記憶が伝わっている。

子供の頃には家に大井町生まれの祖父(じい)さんもいたし、
親父(おやじ)も植木好きであった。祖父さんは菊もやっていた。
家の狭い庭には手製の植木棚がいくつかあり、松、梅、皐月、
その他の雑多な盆栽、鉢植えの類がやたらとあった。
(今の私のマンションのベランダにもご多聞にもれず、いつの間にか
増えてしまった植木(鉢植え)があふれている。)

この展示でもあるが、江戸末には箱庭というのは、
子供の遊びとして、盛んであったという。
私も小学校低学年の頃であったか、祖父さんに教えられて、
箱庭らしきもの作っていた記憶がある。

最後に。この文章で植木、植木と書いてきたが、今、植木といえば
庭の木を指す言葉であろう。しかし、鉢植えも植木と
呼んでいたし、どちらかといえば、江戸の場合、鉢植えを
指すことの方が多かったと思われる。
私の家で植木は鉢植えのことであった。

こんなことも江戸の園芸文化であった。


チラシ

「江戸の園芸熱」プレスリリース

たばこと塩の博物館

#たばこと塩の博物館 #江戸の園芸熱

参考:図録「江戸の園芸熱」~
「江戸の園芸とやきものの植木鉢」佐久間真子
「植木鉢の普及と園芸文化」平野恵
「おもちゃ絵と園芸」湯浅淑子
「三代目尾上菊五郎の園芸熱」西田亜未