2月8日(金)
今日は、東京国立博物館(トーハク)の「風神雷神図のウラ」
というのを観にいくことにした。
これは通常の展示ではなくトーハクのミュージアムシアター
というバーチャルリアリティーによる映像展示。
トーハクにこういう展示施設があることも知らなかった。
そして、もう一つ。
寒いので、温かい立ち喰いそば。
立ち喰いそば・路麺、で、ある。
立ち喰いそばの中でもチェーンではない個人営業のところを
「路麺」と呼んでいる。
拙亭近所の小島町に「アヅマ」
という店が長らくあってお世話になっていたのだが、
昨年であったか、閉店し、今は更地になっている。
歩いても数分のところにあったので、週一回は大げさだが、
かなりの頻度で、朝、食べていた。
路麺といっているチェーンではない立ち喰いそばで
個人営業の店は個性があって、魅力的なところが
ほとんど。
「アヅマ」さんはお客は入っていたと思う。しかし「人手不足のため」と
貼り紙がされていたが、薄利な商売で経営はたいへんであったのかもしれぬ。
このところ行けていなかったのだが、戦後、台東区、千代田区といった
下町を中心にした都心部の街にはこのような路麺が数多くあったのだが、
やはり段々に数を減らしている。
とはいっても、拙亭のある元浅草から自転車でちょいと行ける
範囲にはまだ2~3の路麺がある。
トーハクにいくのであれば、北上野にある[山田製麺所本店]
というところが便利。
ご近所以外の方はあまりご存知ではないと思うが
清洲橋通りの入谷交差点の少し手前の通りを東側に
入ったところ。
これも数を減らしていると思われるが、製麺所の自家営業の路麺。
(台東区というのは製麺所も多かったと思われる。)
かなり年季の入った店の中。
春菊天そば。
閉店してしまった「アヅマ」ではほぼこれ一本であった。
久しぶり。
ここはゆで置き麺なのだが、時として、ゆでてすぐの
ことがあり、これがなかなかの味であったのだが、
今日は残念ながら、ノーマルなゆで置きであった。
とはいえ、久方ぶりの路麺、満足。
食べ終わり、鶯谷、JRに架かる坂の凌雲橋を登って、上野の山へ。
左側が寛永寺輪王殿、右がトーハク。
ぐるっと表にまわり、門前に自転車をとめ、チケットを買って
入る。
ミュージアムシアターというのは入って右にある
東洋館の地下。13時からの回を狙ってきた。
説明のお嬢さんが出てきて、上演開始。
さて、これ、なんなのか。
この画像は尾形光琳の「風神雷神図」の一部だが、
この屏風の裏に酒井抱一の「風雨草花図(通称:夏秋草図屏風)」が
描かれていたということ。
もちろん、私は知らなかったが、一般にもほとんど
知られていないことではなかろうか。
酒井抱一の「夏秋草図屏風」というのはこれ。
(東京国立博物館)
どちらも重文で、どちらも二人の代表作であろう。
酒井抱一という江戸琳派の絵師は、姫路藩酒井家に生まれた人。
将軍家斉の命で既にあった尾形光琳の「風神雷神図」の裏に
「夏秋草図屏風」を描いていたのである。
今は、保存のため別々になっているらしい。
驚きである。
表の「風神雷神図」は金箔の上、裏の「夏秋草図」は銀箔の上。
雷神の裏には雨に降られる夏の草花、風神の裏には
風に吹かれている秋の草花が描かれているのである。
光琳は享保に亡くなっているが、江戸でも前期の人。
抱一は文化文政期に活躍した人で江戸の後期。光琳没後50年ほど後に
抱一は生まれており、同時代には生きていない。
しかし、抱一は光琳を師と仰いでいた。
むろん例外はあるが、このことは我が国の絵、いや我が国の
ほとんどの表現芸術の本質を端的に表しているといってよろしかろう。
「風神雷神図」は江戸初期俵屋宗達に始まり、光琳、抱一、
鈴木其一らによって継続して描かれている。
模写と言ってしまえば、それっきりだが、先達や師の作品を
受け継ぎ、そこに自らの表現を重ねるのが我が国の
表現芸術形式だったのである。
落語にしても歌舞伎にしても伝統芸能は今もすべてそうである。
明治以降に変わっているが、和歌、俳諧など短詩形文学も
然りであった。
この光琳の「風神雷神図」と抱一の「夏秋図屏風」は
物理的にも重ねられているのである。
これほど顕著な例はなかろう。
まさに奇跡といってよい。
抱一の生まれが譜代名門の酒井雅楽頭(うたのかみ)家でなければ
こんなことはなかったかもしれぬ。
町の絵師にはこんなことはさせなかろう。
そんなことも含めて、我が国のかけがえのない
大切な大切な、二曲一双の屏風である。
日本文化史、絵画史の中の貴重な事実として刻み込まれて
しかるべきであろう。
#トーハクで風神雷神2019
山田製麺所本店
03-3841-0322
台東区北上野2-17-7