1月25日(日)夜
さて。
蛤の湯豆腐、で、ある。
これは池波レシピ。
名前は、正確には「蛤を入れた湯豆腐」なのだろう。
出典は「食卓の情景」。
これは、なにかのテーマで書かれたエッセイではなく、
先生の日記部分である。
「蛤を入れた湯豆腐」と冷酒を茶わんで三杯。
冷酒は、れいしゅ、と読んではいけない。
ひやざけ、で、ある。
ひや、という言葉も、もはや口語としての寿命は
尽きようとしているのであろうか。
“常温"なんという科学用語のような
無味乾燥な言葉で置き換えられている。
落語にも冷はむろんたくさんでてくる。
「冷でいいからもう一杯。」
これはある噺の下げになっている。
マニアの方おわかりであろうか。
「いやぁ〜、冷でもよかったんだ。」これは別な噺だか
やっぱり下げである。(答えは一番下。)
以前は燗が普通の呑み方で
冷の方が、イレギュラーであったので、
こういうフレーズが出てくる。
言葉として、常温と冷(ひや)どちらが文化的かといえば
いうまでもなかろう。
信愛なる酒呑みの皆さん、常温、それから、熱燗もだが
やめようではないか。
ひや、燗酒あるいはお燗にしようよ。
(熱燗、常温、撲滅運動始めようかしら。)
ともあれ。
蛤、であった。
この日記で先生はこのあと、
「蛤のフライとソーセージに切れ目を入れて
網で焼いたのを辛子醤油で食べ」ている。
この蛤はやっぱりそうとうに
大きなものだったのであろう。
蛤のフライ、というのもまたべら棒にうまいものである。
ただ、フライにするにはそこそこの大きさが必要である。
以前に小さいものでやってみたが
味もなにもわからなかった。
ご存知のように蛤というのは
国産のものは量が獲れず、
特に大きなものはとてもよい値段である。
蛤のフライを思うさま食べることができたら
どんなに幸せであろうか、、、。
、、、いや、いや。
今日はどうも、横道にばかりそれる。
フライではなく、湯豆腐であった。
まあ、料理ではない。
今は、貝類も砂ぬきなど必要がない。
小鍋に豆腐と蛤を入れて、軽く塩。
煮立てて貝が開けば、食べられる。
蛤というのは、どうしてこんなによい出汁が
出るのであろうか。
浅利も蜆も、こうした澄んだ汁でもうまいのであるが、
やはり、蛤にはかなわない。
澄んだ潮汁では鯛、そして蛤が双璧であろう。
昔のCMのキャッチではないが
塩以外は「なにも足さない。なにも引かない。」
蛤そのもののうまみ。
それをたっぷりと味わう。
そして、このうまいつゆで、酒を呑む。
私は冷ではなく、熱くもなく、ぬるくもない、
上燗の、燗酒。
そして、豆腐を食う。
豆腐にもしょうゆはかけない。
塩だけ。
これがよいのである。
身も心も、温まった。
答え
一つ目が「らくだ」、二つ目が「夢の酒」。