浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



蛤の湯豆腐


3月4日(火)夜



今日は市谷のオフィスで仕事。


一日外に出ないと、寒いのか、そうでもないのか、
よくわからなかったが、日が暮れるとやはり寒い。


7時すぎ、オフィスを出る。


夕方からなにを食べようか、考えていたのだが、
蛤の湯豆腐、を、思いついた。


蛤の湯豆腐というのは、もともとも池波レシピ、で、ある。


これはエッセイ集「食卓の情景」



食卓の情景 (新潮文庫)


にあるもので、この本の、特にエッセイというよりは
日記の部分にある。


亡くなった後、別にある年のものが出版もされているが、
先生は毎日食べたものを日記につけておられたのは有名な話である。


これは奥様に見せて、なにを作ろうか迷った時に、
過去のものを見ながら考えられるために、という意図で
書いていた、と先生は書かれている。


このため、細かい説明などはあまりなく、ほぼメモのようなもの
なのではある。


この蛤の湯豆腐を最初に作ってみたのは上に、リンクを挙げたが、
2004年であったか。もう、10年も前になる。


池波先生のエッセイを読むと、蛤の吸い物で酒を呑む
というのも出てくる。


蛤に限らず、汁物を肴に酒を呑むというのは、このあたりの
池波作品に教えられた。


まあ、一般には汁物は飯とともに、ということに
なっていると思われるが、これがどうして、どうして、
やってみると、なかなかに合うのである。


毎度書いているが、そばやの、ぬき、というもの。


天ぬき、鴨ぬき。


天ぷらそばのそばぬき、鴨なんばんのそばぬき。


つまり、汁物であるが、これは昔から東京のそばやにある食い方で
むろん、酒の肴である。


昔から、汁物で酒を呑む、という習慣はあった、のだと思われる。


私の場合も、天ぬきで酒が呑めることを覚えると、
冬のそばやへ行く楽しみが増えたものである。


さて。


帰り道、牛込神楽坂駅のそばにあるスーパーに寄る。


鮮魚売り場にきてみると、ある程度予想はしていたが、
蛤が随分とある。


そう。


昨日はひな祭り。
ひな祭りは蛤を供えたり、蛤の汁で祝ったりする。
(ということは、昨日のものか。)


とても大きなもので、千葉産、と、してある。
10cm弱はあるであろうか、通常はスーパーの店頭では
見ないもの。
獲ってあったもの貯めて、ひな祭りのために出荷したのか。


蛤というのは量が極端に減っているが、養殖はできないのであろうか。
日本では貝の養殖はあまり技術がなく台湾から稚貝を取り寄せて撒いている
というような話を聞いたこともある。


蛤にしても浅利にしても、蜆にしてもうまいものだし、
遠浅の東京湾の名物であった。
貝を増やすと、水質もよくなるという。
江戸の頃まではいかなかろうが、江戸前の大きな蛤や
浅利を安心してふんだんに食べたいものである。


ともあれ。


せっかくなので、安くはないが、6個ほど購入。


あとは、豆腐を二丁。


帰宅。


鍋なので特別な準備もいらない。


炭を熾して、鉄瓶で燗ぐらいはつけよう。


蛤は、短時間だがボールに塩水を作って、入れておく。


炭が熾きたら、火鉢へ移動。
鉄瓶は別にガスで熱くし、五徳の上に据えておく。


お膳にカセットコンロも用意。
菊正宗の一升瓶も火鉢そばへスタンバイ。


使うのはステンレスの小鍋。


豆腐を切って、蛤を洗う。


小鍋に水を張り、塩を少々。
蛤を二つほど入れ、ふたをして煮立てる。
貝が開いたら、豆腐も入れる。


カセットコンロへ移動。


一合のお銚子に酒を入れて、鉄瓶で燗をつける。




蛤と豆腐、それからねぎも少し。








煮えたら、食べる。


これだけ大きい蛤だと、出汁も十分に出る。


つゆを呑みながら、燗酒。
これが堪らない。


蛤とは別に豆腐は、池波先生の日記を読み直してみると、
しょうゆと鰹節削り節とねぎで食べていた。


蛤のつゆと、豆腐とは別の味、ということになろうか。


私はこの鍋だと、豆腐も塩味、塩を振って食べる。


これもまた、うまい。


温まる。


蛤の湯豆腐、格別で、ある。