浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



鳥越祭 その4

dancyotei2014-06-12

6月8日(日)

さて。

引き続き、14年鳥越祭、本社神輿の渡御。

隣町から我が町へ神輿が到着し、隣町の担ぎ手は

後ろへ。





引き渡しの神事。

左二人、小島の長半纏、右が七軒の長半纏で、

両町の鳶頭(かしら)か。





黄色いたすきをかけた当町の“睦(むつみ)”代表の方が台に立ち、

一時間前から控えていた町会と“同好会”の担ぎ手の行列を

指揮して、前棒、後棒に取り付かせる。

手締め一本で、拍子木を二回、

カン、カン、で、担ぎ初め。



この担ぎ初め、実は少し見ていてハラハラする。

むろん、私自身は担いだことがないのでわからないのだが、

千貫神輿というだけあって、はた目にも、ヨッコラショ

と、重そうにあがるのである。

ともあれ。

あがった。





棒の先を、棒端(ぼうはな)というが、前に出すぎないように

睦の役員さんが押さえている。(半纏ではなく、睦の方は揃いの

緑色の着物を着て鉢巻をしている。)





神輿を担ぐときの掛け声は、実は祭によって決まっている

のである。

ワッショイ、あるいはソイヤ、などというやつである。

我が鳥越は、オリャ、オリャである、と、教えられる。

ただ、書いている通り、外から担ぎにきている“同好会”の

皆様はそんなことにはおかまいなく、いろいろ。

路地をまわって、左衛門橋通りに出てくる。

神輿をサス。



サス、というのは、持ち上げること。

今一つ、全体が揃ってあがっていないのは重いからと

勘弁いただきたい。

再び、代表の方が前に立ち、担ぎ終わり。



多少の小競り合いはあったが、まあ無事に我が町は終了。

手締めをして、担ぎ手は後ろへはける。



と、ここで各町の渡御は終わり。

どうやって、遥か彼方の鳥越神社の宮入に至るのか。

私も、初体験である。

提灯をつけ始めた。



毎年、宮入には提灯がついているが、このタイミングで

つけているのか。



灯も入った。

ちなみに、町内の神輿もそうだが、これちゃんと

本物のロウソクの火である。

(このため、荒っぽいことをすると、燃えてしまうのである。)

ん!。

各町の睦の方が担ぐのか。



拍子木は、総代さんだ。

ちょっとお年が上の方が多いのか、今一つの威勢。

と、思うと、担いだのはわずか。

春日通り前で、担ぎ手交代。

先ほどから、まわりを取り巻いていた、紺に水色の線が

片から袖に入った半纏を着た屈強の若者が担ぐぞ。

半纏の背中には“推進”の文字。

黄色い鉢巻には“浅三”の文字。

浅草三丁目町会か。

なるほど。

トラックなどで運ぶのではなく、この屈強の若者が

“推進”してくれるのね。



春日通りを渡る。



我々も、このままついて行って、宮入を観るか。

神輿の前後を各町の高張提灯が進む。



この浅三・推進部隊が最後まで行くのかと思うと、

さすがに途中でもう一つの推進部隊と交代。

今度は、鳥越一丁目、鳥一町会のよう。

そして、神社近く、蔵前橋通り手前で推進隊は終了。

再度睦の皆さん。



さあ、このあたりから、緊張である。

鳥越神社前の蔵前橋通りはむろん交通は止めてある。

例年、最後の神社に入るところは、もう一度睦で、

その前、蔵前橋通りは、神社に一番近い町内会、

宮元町会。

この宮元が担ぐところが、ちょいとした見もの、

なのである。随分と荒っぽい年もあり、乱入する

乱暴者もあったり、機動隊も出て通りの両側は、高いフェンス、

バリケードのこともあった。

殺気だっているので、写真はここまで。

このまま神輿は、通りに出て、すぐにフェンスは閉められて

担ぎ手以外の人間は警官隊によって、フェンスの外へ追われる。

まあ、それでも多少暴れたい人もいたのだが、それこそ

すぐに身柄確保、であろう。

ここからから神社までは200mほどだが、人が多く、とても

神社まではたどり着けそうにない。

宮入そのものは位置的にも見えないので、ここで断念

帰宅と相成った次第である。

例年は、昼間、自町の渡御を観てお仕舞いか、

夜に出直して、宮入を観る、で、あった。

各町の渡御終了から、宮入まで、推進部隊の登場など

知らなかったことであった。

内儀(かみ)さんなどは、来年もこれを観ようなどと

言っているが、確かに観るべきものはあった。

これで我々は14年鳥越祭終了である。

まったく地元のお祭(それも歴史のある)に縁のなかった

私などが下町台東区の元浅草に引越してきて、鳥越祭に

多少なりとも参加するようになって、10数年。

やはり、地元の祭というものはよいものである。

年に一回、近隣全域が文字通り、普段とは違う、ハレの空間になる。

ケ=日常に溜まったエントロピーをハレの空間で発散させ、

また来年の祭まで、1年間を暮らすことができるのである。

睦、その他関係者、担ぎ手の皆様、お疲れ様でございました。