6月10日(日)
夜が明けて、日曜日。
昨日の、雨と寒さの町内神輿連合渡御から
打って変わって、まぶしいくらいの、好天。
今日は、鳥越神社の本社神輿の氏子町内渡御。
早朝の宮出から始まり、十八か町を受け継いで担ぎ、
夜、20時頃、宮入。
まわるルートは、毎年変えており、なん時に自分の町内へ
くるのかは、まちまち。
今年は、10時半。
南の小島二西町会から受け継ぎ、北の永住町会へ渡す。
鳥越の本社神輿は、千貫(せんがん)神輿などといわれ、
大きいことが自慢、で、ある。
この界隈は路地が狭く、その狭い路地を巨大な神輿が
ゆっさゆっさと、担がれてくる。
また、今はあまりそんなところは少なくなったが、
下町のこと、少し前までは、狭い路地には、電線が
低く張られていたりし、この電線に神輿の上の鳳凰の
飾りが引っ掛かる。このために、電線を上げるための
長い竹の棒を持って神輿の前後についてくる専用の人が
数人いた。
もう一つ、鳥越祭の名物は、夜。
鳥越の夜祭などというが、宮入は夜と決まっており、
神輿にろうそくの灯りが入った提灯をつけ、宮入をする。
これも見もの、なのである。
ともあれ。
起きたのが10時。
寝坊をしてしまった。
あわてて顔を洗い、白い鯉口シャツを着て、
乾かしておいた半纏を着、帯を締める。
祭の格好というのは、他の地域は、わからないが、
このあたりでは、一応のところ、傾向がある。
ご存知かもしれないが、浅草には、祭衣装専門店が
なん軒もある。
どんな格好か、書いてみよう。
威勢のいい人は、ふんどしに腹巻、晒(さらし)を巻く、
その上に、半纏、幅広の縮みの帯。裸足に雪駄。
こういう人は、筋骨隆々。神輿ダコが首の後ろにあって、
まあ、そうとう、コワイ感じ。
多くは、紺の腹掛け股引。腹掛けの下には、鯉口という
シャツを着る。鯉口も白が基本だが、様々な柄がある。
鯉口だけだと、板前さんの格好。
前ボタンで、七分の袖。
足元は、地下足袋、または白足袋。
さらにこれに草鞋(わらじ)を履く人もいる。
ちょっと太った人は、ダボシャツにダボ股引。
これもなかなか、ガラのわるい感じになる。
おわかりであろうか。これら基本、もともと
職人の格好なのである。
頭は男は短髪、五分刈り。外から担ぎにくる祭同好会
などでは揃いの鉢巻。短髪でなければ、手拭いで
まるまる頭を覆っている人が多い。
やはり、神輿を担ぐには、髪が長いのは似合わない。
また、半纏の上から、帯を締めるのが基本。
引っ掛けただけの人はあまりいない。
これは、だらしなく見える、ということもあろうが、
実質的に、神輿を担ぐには、帯を締めないと動きにくい、
ということではあろう。
帯の種類で無難なのは、細い角帯。締め方は、通常の帯同様の
貝の口だが、結び目は小さくするのが普通。
そういえば、半纏のこと。
祭半纏は、町内の印(しるし)が入り、その意匠・デザインは
それぞれ趣向を凝らしており、なかなかよいと、前に書いた。
またデザインとしていいだけではなく、ある意味、地域共同体としての
町内(会)のアイデンティティーのようなものでもあると思っている。
(大袈裟にいえば、町内の魂のようなもの、かもしれない。)
さて、その半纏。
ハンテン、ハンテン、と私はいっているが、全国的には、
祭のときに着る、アレ、は、なんといっているか。
そう、法被。
おそらく、皆さんの中でもハッピ、
だと思っている人の方が、多かろう。
しかし、東京下町では昔からハンテン。
下町で、ハッピなどと口走ると、知らねえな、こいつ、
と、鼻白らんだ顔をされる。
半纏は本来は、主として職人が着る、店の印(しるし)などの
入った、袂のない筒袖(つつそで)の上っ張り。多くは、紺。
職人にとっては、仕事上の正装。
正確にいえば、印半纏(しるしばんてん)。
東京の場合、祭用の半纏は、今は、町内で揃いだが、
これは、さして古くからしていたことではないようである。
おそらく金銭的な理由が大きかったのであろう。
では、どんな格好をしていたのかというと、
下町の場合、神輿の担ぎ手の多くが職人であったので
各自、自分の半纏を着ていた。
町内揃いの半纏を作るようになったのは、大正から
昭和初期のあたりのようだが、もともと、自前の半纏を着ていて
それが町内揃いのものを作るようになり、そのまま名前も
半纏と呼んでいる。
東京だけのことを考えると、おそらくそういう経緯
なのであろう。
じゃあ、東京以外が法被と呼ぶのはなぜか。
実のところ、これがよくわからない。
現状、半纏と法被は、ほぼ同じ形の着物だが、
そもそも違うものなのか。違うのであれば、どう違うのか。
ウィキペディアによれば、半纏は裏のある袷(あわせ)、
法被は単衣(ひとえ)であったよう。
だが、その上に、どうも出自が違うらしい、のであるが、
これもよくわからないよう。またまた、私自身の課題としよう。
閑話休題。
10時15分頃、慌てて、内儀さんとともに飛び出す。
本社神輿の受け渡し場所は、春日通り。
元浅草郵便局の前あたり。
二人で小走りにきてみると、行儀よく道路に座って待っている
七軒町の担ぎ手はいるが、神輿はまだのよう。
既に、広い春日通りの交通は、警官によって止められている。
どのへんまできているかと、向こう側へ渡ってみる。
ローソンが角にある一本目の路地に人ごみ。
この路地をくるのであろう。
路地を曲がってみると、、。
先導する手古舞の衣装を着たお姐さんやら、行列がそこまできて、
路地のずっと奥に本社神輿が見える。
再び、春日通りに戻り、神輿の受け渡し場所。
宮司さんと、長半纏は七軒町と小島二西の鳶頭(かしら)。
(ともに「わ組」)。
黒い足の付いたものが、神輿を置く“ウマ”と呼んでいる台。
足元に砂をこんもりと山にしている、盛砂。
ここで受け渡し時、神事を行なう。
手古舞さん達も到着。
神輿もきた。
広い春日通りでも、鳥越の千貫神輿は存在感がある。
人ごみでよくわからぬが、小島二西担ぎ終わり。
よいところだが、つづきはまた明日。