浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



おでん調査速報/洋食笄軒広尾本店/路麺神田和泉町二葉

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4034号

今日は、二本+α。

2月14日(月)昼

煮込んだおでんの誕生+洋食[笄軒]広尾本店

今日は珍しく少し遠くへ外出。
都立中央図書館へ調べものがあった。

都立中央図書館というのは、広尾というのか、麻布。
有栖川宮記念公園の中にある。

調べものの内容は、例の「おでんの起源」。
温めたり、焼いたりした豆腐などに味噌をつけて
食べる、田楽のおでん、から、現代のようななんらかの
つゆで煮込んだおでんがいつ生まれたのか、という
問題

以前から、江戸時代終わり、というのが“なんとなく”
いわれてきたこと。
これに対して、千葉大名誉教授故松下幸子氏は江戸期末にも
まだなかった、と。どうもこれは間違いなさそう。では
誕生はいつなのか、という問題である。
一説は本郷の[呑喜]。ここは「汁気タップリに煮込ん」だ
おでんを始めた、と書かれている。(紀文ページ)
ここは明治20年(1887年)創業。

こんな後なのか、というのが正直の印象ではあった。

今回、前にもやっているが、明治初頭からの新聞記事から
「おでん」というキーワードを探すという方法。

今回、ある程度わかった。
結論からいうと、どうも、明治20年という説は
あながち遠からず、ということ。

史料の詳細な分析吟味はこれからで、また改めて
ここで報告したいと思うのだが、今回は速報のようなつもり
である。
新聞記事に登場する「おでん」というキーワード、
多くは「おでんや」だが、は、明治初めから、
明確に登場する。ただ、これがつゆで煮たもの
かどうかは、なかなか判別しにくい。この検討を
ちゃんとしようと思っているが、明治初期はやはり
温めたものに味噌の、田楽おでんの可能性が高そう、
という印象。
ではつゆで煮込んだおでんが、明確に登場するのはいつか、
で、ある。これは「煮込みおでん」という言い方で
味付きのつゆで、具材を煮込んだおでんが、家庭の
主婦向けの料理レシピに登場してくる。これが大正期。
これだけでも、ほぼ間違いなかろう。
味付きつゆで煮込んだおでんは、大正期にはまだ珍しい
ものであったと考えてよいのではなかろうか。
本郷[呑喜]かどうかは別にして、明治終盤に
味付きつゆで煮込んだおでんは生まれている、
といってよさそう。以上、おでん誕生速報であった。

さて、おまけのようだが、折角なので、広尾界隈で
昼めしと考え、入ったのが[笄軒]広尾本店という
洋食や。
洋食やといっても、今風にお洒落。一通り洋食メニューは
揃えているが、定番人気のとろとろオムライスや、
ナポリタンの上にとろとろオムレツをのせたものなどが
看板メニューのよう。1時すぎていたが行列。

そこで、食べたのは、とろとろ、ではなく、
スパゲティーミートソース。我々の世代には、
茶店もしくは給食のメニューといってよい。
サラダとスープ。

ミートソース。

私の住む下町の洋食やにはスパゲティー
まあ、ないもの、であるが、現代の感覚では、
スパゲティーは洋食メニューなのはおもしろい。
ともあれ、なかなか改めて食べるメニューではなく、
最近食べていなかった。ソースたっぷりでうまかった。


笄軒

050-5596-5940
港区西麻布4-6-5 協立興産西麻布ビル 1F


2月15日(火)第一食

路麺・神田和泉町二葉

路麺、路麺と書いているが、あまり使っている人も
いない。個人的な定義は、個人営業の立ち食い蕎麦。
段々、個人営業という定義では入るところが少なくなって
おり、大手ではない、個性のあるチェーンも最近は
含んで書いている。

ここは、間違いなく個人営業。
先日、二長町のことを書いたが、

その二長町と広くもない通りをはさんだ南側。
凸版印刷本社の斜向かい。この通りが区境で、
千代田区神田和泉町

昭和42年(1967年)創業という。
もちろん古いのだが、東京の街の立ち喰いそば店の
誕生は意外なことに戦後なのである。
屋台(露店)の蕎麦やが、銀座などの盛り場には
戦前まであったようなのである。
調べると、 むしろ駅構内の立ち喰いそば、駅そばの
方が古く、明治の頃に既にあったよう

戦後、東京は闇市時代が終わり、やはり路上屋台は
取り締まられ業態としての店を構えた個人営業の
立ち食いそばが生まれてきたという歴史のよう。

ともあれ[二葉]。
ここは、ゆで置きのそばに、天ぷらの種類も豊富。
そういう意味で、正しい、東京下町の路麺の格好を
保っているもはや希少な店。
外国人の店員も多いのだが、二代目か三代目の
おねえさんがどうもやられているのか。

15時前。
こんな時刻だが、かなりにぎわっている。
サラリーマンも小腹が減る時刻。

下足天と春菊天がよかったのだが、下足天は切れており、
春菊天と生玉子。

ちょっと、ごわついた太めのゆで麺。

奥で、ちょうど目の前が天ぷらの揚げ鍋。
今は揚げ終わっているが、丸い型が置かれている。
この春菊天のきれいな円形、型を使って
揚げているよう。

今となっては数少ない正統派路麺の老舗といってよかろう。
たいへんであろうが、なくなってほしくない店
である。

 

千代田区神田和泉町1-4-6 西川ビル 1F

 

 

 

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