浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



小石川初音町界隈のこと 春日・焼肉・新香園 その1

4470号

12月17日(日)夜

さて、焼肉、で、ある。

とあるTVでやっていた。
最寄り駅は春日。[新香園(しんかえん)]という。
安めだがうまい、と。

春日はご近所ではないが、遠くもない。
大江戸線で三つ。

場所は春日駅のちょい北、白山通り沿い西側のビル。
1962年(昭和37年)創業という老舗。

考えて見ると、私、ほぼこのあたり小石川というのは
土地勘もないし、知識も乏しい。
これを機に、ちょいと勉強しよう。

グーグルマップだが地形を重ねてみた。

地形的にみると、南北に走る白山通りというのが
東西の台地にはさまれた細い谷筋。

西が崖にもなっている部分もあり小石川の台地。
東もやはり崖地もあって東大などある本郷の台地。

この界隈のランドマークはなんであろうか。
南に後楽園。そして、やっぱり伝通院か。
あとは、そう、どのくらいの方がご存知かわからぬが、
こんにゃく閻魔がこの店のそばでもある。

白山通りの西片の交差点は、根津から本郷の
言問通りの延長でこんにゃく閻魔の崖にぶつかる。

さて、いつもの通り、江戸の地図から見ていこう。

白山通りは今は巣鴨まで通っているが、江戸期には
はっきりとした通りになっていない。春日通りは
このあたりは、今とほぼ同じ、水戸藩邸の北を通って、
坂。既に大塚方面に通じている。この坂が富坂。
坂の途中北側の町名にもなっている。

町やはそうは多くないといってよいか。
どちらかといえば、中小旗本屋敷が多いよう。

南が水戸藩邸。
伝通院は、今と広さは違うが、同じ場所にある。
この二つはわかりやすい。
水戸藩邸はここが上屋敷
ここだけが外濠の外で御三家としては最も
江戸城から遠い、か。

伝通院というのは、存在は誰でもある程度
知っているが、その実態、歴史は私も
説明できるほど知らないことに気付く。

宗派は浄土宗。正式名称は無量山・伝通院・寿経寺。
伝通院は、家康の母、大河で松島奈々子さんが演じた
あの於大の方の戒名。つまり於大の方が葬られ、今も
墓がある。と、いうことで、将軍家にとっては
増上寺寛永寺と同格?、菩提寺に列していた。
将軍本人、正室は葬られていないが将軍家の子女は
葬られている。ほう、なるほど。そんな格が高かったのか。
知らなかった。
創建は意外というべきか、古く、室町時代
伝通院という名が付いたのは、当然江戸初期。

最寄り駅、春日。
春日は、あの、家光の乳母、春日局由来、
というのはよく言われるので、なんとなく知っていた。
春日町という町名はこの地図、水戸藩邸の北東角に
見られる。ここが春日局縁の地のよう。
江戸初期、春日局が拝領した土地で、その後町家となり
江戸期町名として残り、さらに明治以降段々に広くなり
現代まで町名として残っている。

こんにゃく閻魔にも触れねば。
お寺の名前は源覚寺。ここも浄土宗。創建は寛永元年
(1624年)で、江戸初期。
閻魔様の像があって、閻魔信仰のお寺。
閻魔信仰というのは、江戸期、特に盛んであった。
ここは入っていないが、江戸三閻魔などといって、
下谷坂本の善養寺、蔵前の華徳院、内藤新宿の太宗寺が
特に有名。なにかというと、お盆と正月、地獄がお休みになる日
(地獄の釜のふたが開く日)にお参りをしようという、
なんだか愉快な信仰にも聞こえる。江戸っぽいかもしれぬ。
さらにここの、こんにゃくはなにかというと、眼病の
お寺で、とある老婆が三七、二十一日、こんにゃくを
断って祈願すると目の病気が治った、という。
まあ、これも江戸で盛んだった、現世利益で、なにか
専門の利益があり、特定のなにか断ち物をすると、
祈願が成就する、と。江戸にはよくあった例。
ここでは人々はこんにゃくを供える。

ここまでが、江戸期。

明治の地図。(明治30年(1987年)「東京一目新図」)

明治になり、武家屋敷はむろんなくなる。
今回の[新香園]のブロックは初音町に。
その南は餌差町という名前になる。
ちなみに、その南、下富坂町、今の白山通り
沿いに最初の(柔道の)講道館があったよう。

広大な水戸藩邸は、陸軍関係の施設に。
伝通院は、将軍菩提寺増上寺寛永寺
新政府に接収され、公園に指定されたのに
対して、なにもなかったが、各塔頭は独立。
廃仏毀釈の嵐にも見舞われ、寺勢は衰えた。

もう一つ。これも記さねば。
明治12年(1879年)、断腸亭永井荷風先生は
この伝通院そばに生まれている。
尾張藩士の家で父は海外留学経験もあり、官吏から
日本郵船の前身で働くエリート。
まあ、荷風先生はそれがいやで、ドロップアウト
していくのだが、伝通院の見える界隈の風景を
愛し、随筆『伝通院』という作品もある。

伝通院は江戸の頃、将軍家菩提寺増上寺
寛永寺に並ぶ格があったとすると、伽藍は豪壮
華麗な建築であったはずである。
明治以降なん回かの火災、また、太平洋戦争の
空襲で完全に焼けて、名残を示すものはほとんど
ないよう。寛永寺増上寺も同様。代々の将軍、
正室の御霊屋、霊廟もほぼすべて戦争で焼けて
跡形もない。戦前の増上寺の台徳院殿(秀忠)の
御霊屋の数少ないモノクロ写真を見たことがあるが、
日光東照宮の陽明門などを思い浮かべていただければ
よいだろう。あんなデコラティブな装飾の伽藍が
林立していたはずなのである。
今の伝通院、私自身は境内に入ったことが一度も
ないのは恥ずかしい限り。私の宿題。

今、この旧初音町も旧餌差町も再開発され、
大きなビルになっていた。
実は、私、こんにゃく閻魔門前というのか、
20年ほど前の初音町と餌差町の間の東西の通りを
憶えている。
魚や、八百やなど懐かしい商店街かあって
車で通りかかるとよく覗いていたのである。
あれらの店々はどこか新しいビルに入って
いるのであろうか。


つづく

 

新香園

03-3812-8339
文京区小石川1-11-13 新香園ビル 2F・3F

 

 

 

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