4467号
さて。今日は御徒町ラーメン二題。
と家系[侍]。
今日はちょいとこのあたりの地図を見てみたい。
現代の地図。
縦に長い。北は今は東上野で、南は台東だが、
もとは同じ町であった。
おわかりになろうか。
御徒町。
地下鉄の駅名が仲御徒町なので、そう思いがちだが
昭和通り(和泉橋通り)をはさんで東側が御徒町で
西が仲御徒町であった。
入れ替わってしまったのは大正14年(1925年)に
御徒町駅(当時鉄道省東北本線)が今の位置、
仲御徒町側にできたからでろう。
江戸と明治も出しておこう。
北の端は今の上野駅前、上野寛永寺の上野山下の角。
江戸
明治(明治36年)
江戸期は名前の通り、御徒など幕府の下級家臣、御家人の
小さな屋敷がびっしりと軒を連ねていた地域。大きな大名
屋敷は加藤出羽守(伊予大須藩六万石、外様)のみで、
武士以外の住む“町”はまったく見えない。
(実際には、江戸中の御家人の屋敷で見られたことだが、
御徒町でも、以前見たように屋敷内に家作などが作られて
いたりする例は少なくなかった。ただ住人にはやはり配慮が
あったのであろう、商人や職人のような一般庶民ではなく、
能役者などの文化人、大名家のそこそこの地位の者の別宅と
いったもので、静かな街であったと考えている。)
さて。江戸と明治の地図をよく見ていただきたい。
春日通りは明治に上野広小路、湯島方向に突き抜けており
江戸期にはまだない。
しかし、それ以外、今の昭和通りにあたる下谷和泉橋
通りがまったく同じ位置に南北に走り、その東西の
町割りも小さな路地は別にして、主要な通りは
大きくは変わっていないことに気が付く。
例えば、家系[侍]のある角の東西、南北の通りは、
まったく同じところを同じように通っている。この
角を北へ行くと斜め東に曲がって浅草通りに出るが、
これも江戸からそのまま変わっていない。
12月11日(月)第一食
仲御徒町・タンメン[富白]
そういう意味で、ここは仲御徒町ではなく、
御徒町が正解であるが、[富白]。
今日の最高気温は16.0℃(12時45分)。
日も出て、比較的穏やか。
だが、寒くなると、やっぱり熱いタンメンが
食べたくなる。
御徒町駅前の[珍萬]だったり伝統的町の中華やの
タンメンもうまいのだが、濃厚さというところでは、
界隈随一、で、あろう。
ここで食べるのは、定着してきた。
鶏ぶた塩タンメン。
鶏ぶた、というのが、ちょいと意味不明なのだが、
ぶたは、豚肉で、載っている豚バラチャーシュー
のことで、鶏はスープのことか。
もやしを中心にしたたっぷりの野菜と、
麺はしっかりした太麺。
そして、白濁した濃厚スープ。
やっぱり飲み干したくなる。
薄汗が出てくる。
うまかった、ご馳走様でした。
台東区台東3-14-10
03-6677-3156
12月12日(火)第一食
御徒町・横浜家系らーめん[侍]上野店
ここにこの店ができてよかった。
家系というのは、やはりうまい。
時として、食べたくなる。
毎度書いている通り、そこらじゅうにチェーンの
家系ができるのと合わせたように、このあたりに
あった家系の個人店がなくなり、しばらく食べらない
時期があった。
秋葉原方面に行くとあるのだが、どうもあの二軒は
雰囲気が馴染めぬ。
曇り時々雨、最高気温15.4℃(14時04分)。
昼までには雨はやんで曇り。自転車で出た。
14時すぎ。
いつも通り、ノーマルなラーメン。
海苔五枚、ゆでたほうれん草、チャーシュー。
家系のオーソドックスな具、なのか。
家系に限らぬが、なぜ、ラーメンに海苔を
のせるのであろうか。
おそらく、昔からのものなのであろう。
これ、単なるにぎやかしであろう。
必要不可欠とは到底思えぬ。特段合っている
とも思わぬ。まさしく取って付けたようである。
ともあれ、麺。
ちょい縮れ、腰強めの太麺。
ここのスープは濃すぎず塩味も強すぎず、
よい塩梅である。
うまかった。
ご馳走様でした。
台東区東上野2-18-1
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