3983号
12月4日(土)夕
さて、土曜日。
今日は、なにを食べようか。
特に決めずに、浅草方面に出る。
16時近く。
もう、だいぶ寒くなった。
上野浅草でも、ほぼ紅・黄葉も終わったと
いってよさそう。
マフラーがわりに赤い手ぬぐいを首に巻いて、
ステンカラーのコート。自転車用の手袋。
(もちろんマスクも。)
走りながら、決めた。
うなぎ、だ。
[小柳]。
浅草で一番気軽に入れて、ちゃんとしている
のではなかろうか。ちゃんとしているというのは
味と居心地である。
ちょいと調べると、夕方は16時から。
ちょうどよい。
[小柳]は大正15年(1926年)創業。
関東大震災が大正12年なので、その3年後。
もう百年近くになる。
だが、こと、浅草のうなぎやとしては、まだまだ。
江戸創業の店が、実際、三軒はある。
[やっこ](寛政年間)[前川](文化文政年間)、
[色川]文久元年(1861年)。
いつも書いているが、そばやは皆無、鮨やは
毎度お世話になっている[弁天山美家古寿司]
1866年(慶応2年)のみ。天ぷらやでも
[中清]が明治3年(1870年)で明治初頭。
古い暖簾が続いているのはうなぎやだけである。
やはり客単価の違いということか。
仲見世界隈を一周りして、ちょうど16時、
店前に到着。
雷門通りからは落語、演歌の“レコード”が
昔から充実している[ヨーロー堂]の角を
北へ入る。
この界隈、ちょいと似たような街角なので、
ぼんやりしていると、どこにいるのか
わからなくなる。
[小柳]はこの[ヨーロー堂]の角の通りと
憶えるとよい。(この通り、浅草中央通りという名前が
あるよう。)北へ上がり、佃煮の[海老屋]が
左にあって、さらに新仲見世を越える。
越えると、右に[餃子の王さま]があって、
その先の左角が[小柳]。
邪魔にならぬ脇に自転車をとめて、入る。
あれ。
もうカウンター奥に先客がいた。
出入り口に近い一番手前のカウンターにしよう。
掛けて、お酒ぬる燗。
そして、やっぱり、肝煮。
すぐにきた。
お酒がきたところで、うな重竹2,970円也、
肝吸い110円也、も頼んでおく。
肝煮は、煮凝り状。
あれ、こんな味であったか。
その時は、濃いめの佃煮味にした。
ここのはしっかりした味ではあるが、
見た目通り佃煮よりは薄め。
そうか。
このくらいでよいのだ。
肝の味が、ちゃんとわかる。
うな重を頼むとすぐにお新香がくる。
これ、正しい。
うなぎやでは、昔からうな重がくる前に、
お新香で呑むのである。
落語にもよく出てくる。
それで、うなぎやのお新香というのは、
もう一つの看板で、乙でうまいもの、
ということになっていた。
きゅうり、大根、葉っぱ。
ぬか漬けのよう。
ちゃんとしたものである。
ゆっくりと、呑む。
お重、登場。
お重と肝吸いのふたを開ける。
毎度書いているが、このふたを開ける瞬間
というものは、なににも代えがたい。
皆さん、そうではあるまいか。
うな重を食べるという、至福の時間が
これから始まる、という。
山椒を振る。
緑色のよい色の山椒の粉である。
まだ、酒が残っているので、呑みながら
蒲焼だけつまむ。
呑み終わり、ご飯とともに、やっぱり
掻き込む。
蒲焼は浅草らしくさっぱり系だが、気持ち、
ノーマルな甘辛に近いか。
そして飯。これが堅めでかなりよい炊き具合。
いつもこうであったか。
天丼、うな重などの丼ものは飯の堅さはとても
重要である。たれ、つゆが染み込むので飯が
柔らかと、ベチャべちゃになってしまう。
名店の条件といってもよいだろう。
うまい、うまい。
大満足。
ご馳走様でした。
台東区浅草1-29-11
03-3843-2861
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