11月22日(水)夜
出張で福井から大阪をまわって19時半、
東京駅に帰ってきた。
日本列島を縦断するような出張ももう慣れてしまった。
さて、なにを食べようか。
基本、この時刻に帰京するのであれば、
新幹線の中では食べないことにしている。
17時には新大阪を乗っているのだが、
ここから食べ始め、呑み始めてしまうと
家に帰ってまた呑み直しになってしまい、
いいことはない。
で、今日は、ラーメンが食べたかった。
東京駅のラーメン横丁ものぞいてみたが、
ごった返す人出と列であきらめる。
そこで、前々から自分の宿題であったのが、
洋食やの日本橋[たいめいけん]のラーメン。
[たいめいけん]はむろん、知らない人はいない、
洋食やの老舗ではあろう。池波先生の行き付けでもあって、
池波レシピ。
だが[たいめいけん]にはラーメンがあるというのは
皆さんご存知のことであろうか。
池波先生も書かれているので、随分前からのこと
なのであろう。
先生が亡くなられたのが、1990年、平成2年で
もう30年近く前になる。
少なくとも晩年ではなかろうし、40年以上前には
なるのかもしれない。
今でもラーメンはやっている。
それで一度は食べてみなければと思って
宿題にしていたのである。
[たいめいけん]の創業は戦前の昭和6年で、
押しも押されぬ洋書やの老舗であるが、なぜ、
ラーメンなど始めたのであろうか。
何時頃か。もう少し考えてみると、池波先生がラーメンを始めた
当時のここのご主人との会話をエッセイに書かれたと思う。
そのご主人というのは、おそらくは創業者、初代の方で
昭和53年に亡くなられている。
ということはもっと前。
ラーメンを始めたのは昭和40年代のことかもしれぬ。
ラーメンというのは、むろん東京では戦前からあって
なにも昭和40年代に特別に流行った、ということでもないとは
思うのだが。
ここにはラーメン以外にもおもしろいメニューが二つある。
ボルシチといっている50円のカップ入りミネストローネスープ。
もう一つはガラスの小鉢に盛られたコールスロー。これも50円。
どちらもおそらく、余った野菜を活用しているのであろう。
初代のご主人というのはアイデアマンだったのかもしれない。
ラーメンだけを出すカウンタースペースが洋食とは別の
出入口で、ビルの脇にある。
洋食やの雰囲気も考えたのであろう、
ちゃんと分けているのもおもしろい。
20時前、東京駅から歩いて[たいめいけん]まで
たどり着く。
ラーメンのカウンタースペースは、メインの玄関とは
対角の角。昭和通り側。
本当に、ビルの端っこ。
サッシのドアを開けて入る。
先客が男性二人。私より年配のサラリーマン風。
5人も立てないくらいの狭いスペース。
ちょうど、洋食の厨房の真横の位置になり、中がよく見える。
食券を買う自販機がある。
しょうゆだけかと思ったら味噌も。
また、それ以外にカレーライス。
それからコールスローとボルシチの50円コンビも。
安めですぐに食べられる(出せる)ものを置いていると
いうことか。
ノーマルなしょうゆラーメンに味玉。
それからコールスローももらおう。
食券を出す。
コールスローがすぐにきた。
つまみながら、待っていると。
!。
なんだ、通常の席でもラーメンが食べられる。
通常の席からの注文がここに入るのである。
まあ、あちらに座って、ラーメンを頼む気には
私はならないが、これは知らなかった。
ラーメンに味玉。
チャーシューと玉子が赤く染められている。
中華では、玉子はともかくチャーシューは食紅で
赤くするのが本来だからであろう。
スープはノーマルなしょうゆラーメンであるが、
さすがに[たいめいけん]、かなりこくがあって、
うまい。
今となっては、このくらいのクオリティーのしょうゆスープの
ラーメンはそう珍しくもないかもしぬが、登場当時は
群を抜く味であったのではなかろうか。
有名洋食やで、余業とはいえ看板に恥ずかしいものは
出せなかったであろう。
裏の厨房で働いている人々の様子がよく見えるので
ラーメンをすすりながら見学。
たまに、表の席から、かの、色の黒い三代目の
顔を見かけることがあるが、今はいないよう。
意外に狭い。
そして、意外に雑然としている。
あの美しい、芸術的なタンポポオムライス
がここで生まれるかと思うと、ちょっと意外でもある。
まあ、オープンキッチンではなく、見せることを
想定していないであろうし、意外にこんなものかもしれぬ。
食べ終わり、スープもすべて飲み干す。
うまかった、うまかった。
ご馳走さまでした。
だが、老舗洋食やのラーメンカウンター、
やはり、ちょっ不思議な空間である。