7月27日(水)昼
今日は、仕事。
朝から、成田に出掛けて昼、京成で戻ってくる。
日暮里から山手線でオフィスのある五反田まで
戻るのだが、ふと思い立って、反対側に乗る。
どこへ行くのかといえば、二つ隣の、田端。
随分と久しぶりであるが、田端の名物路麺[かしやま]へ
行ってみようかと考えた、のである。
“路麺”というのはチェーンではない、個人営業の
立ち喰そばやのこと。
(路面店の洒落である。)
以前は随分とこの日記にも書いたものである。
個人営業の、と書いたが、立ち喰そばといえば、
駅などに入っていたり、街角にもたくさんあるが
[富士そば]だったり[小諸そば]だったり、
チェーンがたくさんあって、これらを思い浮かべる
方も多いかもしれない。
個人営業なんてあるの?とも思われよう。
東京には、意外にあるのである。
どのへんかというと、台東区、千代田区、中央区、、、
なんという、元下町といったらよいのか。
そんなあたり。
拙亭のある元浅草界隈にも、むろんあって、
月に一回以上は、朝、食べている。
個人営業と限定しているのは、チェーンよりも
格段にうまいところがほとんどであるから。
歴史をさかのぼってみると、路麺の始まりは、
戦後のことのようである。
それこそ、落語の「時そば」ではないが、
江戸からある、担って売って歩いた蕎麦やの系統
ということでもなく、どちらかといえば、
焼け跡の闇市がルーツなのかもしれぬ。
そういうことなので、以前はもっと数が
あったのであろう。
今、立ち喰そばは一杯、かき揚げの天ぷらを入れて、
300円〜400円であろう。
安いものであり、原価率はともかく、売上という意味では
知れているといってよいはずである。
この価格では、新たに商売を始めようという人は
おそらくいなかろう。
そういう意味で、今あるところは、おそらく
30年、40年、がんばって、経営努力をしながら
続けているところ。
(お客が集まらなければ店を続けることすら
むずかしいと思われる。)
従って、どこも個性があるし、味もある。
それで、長く愛しているお客も多い。
これがチェーンとは決定的に違うところ
なのである。
さて。
田端の[かしやま]。
ここは1968年というから昭和43年に開店をしている。
田端駅というのは、ご近所の方以外は、
ほぼ降りた方はいなかろう。
あるいは、田端駅は鉄道が趣味の方はおそらくご存知。
JRの広大な車庫がある。
車庫につながる(?)なん本もある線路をまたぐ
長い橋があって、これに北口がくっついている。
長い橋を東に渡って、橋の終わり、東詰を真っ直ぐに下に
降りたところ。
わかりやすいといえば、わかりやすい。
隣に大衆食堂があって、それよりもさらに小さい
それこそ、数坪。
入ってすぐに券売機がある。
今の季節は冷やしもあって、体調が万全であれば、
それもよいのだが、今日は最初から決めていた、
温かい天玉うどん。
ここの麺はうどんもそばも自家製。
この狭い店の二階で作っているよう。
そばでもむろんよいのだが、やっぱりうどんが秀逸。
厨房は小父さんと、腰がかなり曲がったお婆ちゃん。
このお婆ちゃんもこの店の看板であろう。
小父さんのお内儀さんなのか、はたまた、お母さんなのか。
食券を置くと、その曲がった腰で、ガラスのコップに
水を入れて前に置いてくれる。
私がこの店にくるようになって、もう既に10年になるが
このお婆ちゃんはいったいいくつなのであろうか。
1時をすぎており、先客はちょっとくたびれた感じの
地元感あふれるお父っつぁん一人。
うどんは、茹で時間がかかるので、まあ茹で置き。
すぐに出てくる。
アップ。
麺でも持ち上げればよかったか。
ただのアップで芸がなかった。
うどんは茹で置きではあるが、もちもち。
(讃岐うどんのようなものではないが。)
かき揚げは、いか、桜海老、玉ねぎやら。
これも揚げ冷ましであろうが、若干柔らかめ。
基本、路麺の天ぷらは柔らかく、とろけさせて
食べるので、これのくらいがよい。
生玉子は、先に呑んでしまう。
つゆに溶けたのもそれはそれで、好きなのだが、
今日は濁らせたくない気分。
つゆは、かなりしょうゆが勝っている。
下町の路麺、らしいかもしれぬ。
これが、うまいんだな。
食べている途中で、若旦那というのか、若主人というのか
二階で麺を打っていたのか、跡継ぎの
お兄ちゃんが降りてきていた。
食べ終わって、ご馳走様ぁ〜、といって、出る。
お婆ちゃん、お父っつぁん、兄んちゃんが、
ありがとうございます〜。
跡継ぎもちゃんといて、まったくよい路麺である。