浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



御柱祭のこと

dancyotei2016-06-30



さて。



今日は、ちょっと変則。



この前の日曜夜のNHKスペシャ
「古代史ミステリー 「御柱」〜最後の“縄文王国”の謎〜」
というのをご覧になった方はおられようか。


長野県諏訪地方の御柱祭というのは、おそらく
ほとんど方は聞いたことぐらいはあると思われる。


6年に一度。
今年がその年であったわけである。


御柱と呼ばれる、巨大な丸太を山から切り出し、
膨大な数の氏子達によって曳かれ、
崖から落としたり、川を越えたりし、
最後には諏訪大社の境内に建てるというお祭。


この番組は、最近の研究で新たな解釈というのであろうか、
新たな説といった方がよいのか、縄文文化と関係付けて
構成されていたものである。


このお祭というのは実は私の原点の一つ
であった。


なん回か書いている通り、私は筑波大学
民俗学を専攻し、新潟県最北部のとあるムラで
フィールドワークをし、今から考えると
かなり稚拙で冷や汗ものの卒論を書いている。


まあ、当時はそこそこ真面目に
民俗学を勉強したくて、筑波大学に入学し、
ある程度がんばって、調査をし、まとめた、
つもりではあったが。
しかし、当時、学部生の私は、生涯民俗学
研究者として生きようというつもりもなく、
普通に企業へ就職したいと思っていたのも事実ではあった
わけだが。


民俗学の卒論というのは、フィールドワークをして
書くというのは、一般的であったと思われる。


問題は、どこを調査対象とするのか、である。
故郷のある人間であれば、故郷でやりなさい、
と指導されるのが、普通で、そういう同級生も
多かった。
しかし、私の場合故郷は東京。


しかし、日本民俗学の場合当時は(?)
都市は扱わない、というのが原則で、
東京は対象外。
それで、当時大学が民俗誌の依頼を受けていた
ところに行かせてもらい、調査に便乗して
卒論を書かせてもらったのであった。


私自身、この頃から祭というものが
好きで、これで卒論を書きたいという気持ちが
一方であった。


ここでいう祭とは、まあ、有名な京都の祇園祭であるとか、
大阪の天神祭であるとか、秩父の夜祭であるとか、
伝統もありまた規模も大きな祭。
学問としても、民俗学ではなく、領域として隣になると思うが、
民族学、あるいは文化人類学、さらには社会学などの
研究がいくつかあったと記憶している。


筑波大学にも文化人類学専攻もあって、例えば、
そちらへ専攻を替えて例えば浅草の三社祭の調査研究でも
してもよかったように思うのだが、まあ、そこまでの
強い動機も覇気もなかった、ということだったのかもしれない。


その後。


社会人になって、3年目頃であったか、
たまたま諏訪の御柱祭を観に行く機会があった。


私の生まれ育ちは東京で父方は品川区の
大井町あたりに江戸時代から代々住んでいた
というのはなん回か書いている。
しかし、母方は、この諏訪の出で、親戚もあり、
在住の叔母さんに呼んでもらって、御柱祭
見物にいったのであった。


この時、町の法被(ハッピ。東京ではないので、
半纏ではなく、法被でよいのかな。)を着せてもらい、
御柱の綱を引くことができ、また、下社(しもしゃ)の
木落(きおとし=危ない方である)も見物した。


元来祭は好きであったが、育ったのが東京私鉄沿線の
新興住宅地で、伝統的な祭りなど皆無で、こうして
曲がりなりにも揃いのものを着て、祭りに参加する
楽しさを経験できた、それも、それが天下の奇祭といわれる
御柱祭であったのは、私自身、かなりのインパクトを受けた
わけである。


これが大学在学時代であれば、人生も変わっていた、
かもしれぬ。が、時すでに遅しであったか。
東京も一方の私のルーツであるが、長野県諏訪地方も
私のルーツであり、例えば御柱祭の研究をする資格というのか、
そんなものもあったのかもしれない。


ともあれ、その後、サラリーマンとして仕事をし
そのかたわらというのか、30前後から落語を始めたり、
こんな文章を書くようになったり、、、。


御柱祭のNHKスペシャルは、タイトルにある通り
縄文時代との関わりでこの祭を読み解くというもので
かなり斬新でおもしろかった。
こんな研究がされてきていたというのは知らなかった。
〜主旨は諏訪地方というのは山に囲まれ、最後まで
弥生文化である稲作を受け入れなかったということで
縄文の祭の形態を残しているのが御柱祭である、
という説がある、ということでよいのか。〜


番組を観終わって、即席に御柱祭にどんな研究、論文があるのか
探してみたりもしてた。
すると文化人類学で最近、民族誌的な論文があるのも
わかった。


しかし、御柱祭の調査はたいへんである。
なにしろ、6年に一回しか調査機会がないのである。
論文になるまでに、10年以上かかったと書かれていたが
さもありなん。


6月の初旬、私の住むところのお祭、鳥越祭のことを書いた。
伝統のある祭というのはそこに住む住人にとって
それが新たに移り住んだ者にとっても、
とても大切なものであり、またよいものである。
それは自分の住むところを大切にし、コミュニティーを
強固にし、さらには治安をよくする効果まであると
考える。


今、現代にあって祭というものをもう一度見直す意義も
このあたりにあるように思う。
むろん、同時に自分たちがどこからきたのかを知らず知らずのうちに
気付かされる効果もある。


よし。


また祭のこと、
少し勉強してみようか。