浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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「諏訪の神:封印された縄文の血祭り」戸矢 学 その2

dancyotei2016-09-05


引き続き、


「諏訪の神: 封印された縄文の血祭り」戸矢 学

諏訪大社の秘められた祭神の交替?、


物部守屋のことを書いた。


隠された諏訪大社の歴史。


諏訪大社については、戸矢氏によれば、
文献、古文書の類は実は、膨大なものがあるという。
しかし、解読、研究されているものはほんのわずか、
ということ。


これはむしろことがことだけに意識的に、
表には出さない、出せないというもので
あったのかもしれない。


これもこれだけ謎に包まれているのに、謎のままということの
一つの理由なのであろう。


また、諏訪大社の歴史そのものにスポットライトが
当たっていないかった。考古学、歴史学神道民俗学など、
関連する学問の興味の外であったということもあったの
かもしれない。


さて。


次に、最初に書いた、ショッキングなことを
書いてみたい。


諏訪大社、上社の神職というのは諏訪氏という一族が
古くから務めていた。


諏訪の諏訪氏といえば、武田信玄、勝頼との関係、
江戸期には諏訪高島藩(3万石)の大名でもあったので、
ご記憶の方もあるかもしれない。


また、諏訪氏は上社の祭神である建御名方命の末裔であると
古来から称しており、上社の神職を代々務め、役職名を大祝という。
その上、諏訪地方の領主であり、戦国時代は諏訪地域の
武士団を率い、甲斐の武田氏と争い、武田勝頼
諏訪家の姫を娶り諏訪氏を名乗ってもいた。
そして江戸期には大名。
諏訪家は長年、諏訪地方で祭政両方の長の役割を持っていた。


そして、この諏訪氏諏訪大社での神職としての役職名が大祝。


さて、これ、なんと読むのか。


これが大きな問題なのである。


オオホウリ、と読む。


このホウリの意味するところは、なにか。


ホフルで、動詞になるが、漢字で書くと、屠るとなる。


お判りであろう。


生贄(いけにえ)のこと。
そうなのである。


大祝という役職は大祝その人が、生贄となる、という。
(あくまでも、この書の戸矢氏の説ということにはなろうが。)


諏訪大社上社本宮で毎年行われる神事「御頭祭」。
これは現代では剥製が使われているというが
鹿や猪の頭、うさぎなどなどが生贄とされて神前に供される。


これが以前は、実に人であったというわけである。
いつ頃まで行われていたのか、気になるところである。


一般には生贄や人柱などが倫理的に排除されるようになったのは、
仏教渡来以後という。むろん朝廷によって。


ただ諏訪の場合は少し遅れて、奈良時代中盤から
平安遷都前までであろうと、戸谷氏は推論している。
(ということは守屋事件から祭神交替の時期である。)


「御頭祭」は4月15日といい、7年毎の御柱祭の時にも当然盛大に
行われている(た?)のであろう。
この書のサブタイトル「封印された縄文の血祭り」
というのは実にこのことなのである。


大祝とは子供の頃から、生贄になることを決められて育てられ
御柱祭の時なのか、神にその身を奉げるというものであった。
(まだ少年であったであろうとのこと。)


神への最大の奉げものは、動物ではなく人の命そのものであろう。


御柱祭では力を合わせて綱を引くために木遣が唄われる。
私は見物に行ったことがあるので、聞いたことがあるが
木遣といっても例えば江戸・東京の鳶(火消)が唄うものとは、
随分と趣が違っている。


第一、男性が唄うがキーがものすごく高い。
諏訪では、この御柱の木遣は、唄うとはいわず、ナク、という。
戸矢氏は、これは文字通り、泣く、であろう、と。
命を奉げる大祝のために、人々が泣いた泣き声であったのかも、と。


諏訪に限らず、国内でも人柱などといって、あるいは、
世界各地を見れば人の生贄というのは、
少なからず存在したことは周知のことではあり、
取り立てて珍しいことではない。


しかし、古代から続いていた諏訪家というのは
そのための家であった、というのは私には実に
ショッキングなことであった。
(神社の神主には人身御供の伝承は他にもあるよう。)


御柱祭ではご存知の通り、木落し、高い長い崖から落とす御柱
人が乗り、人命に関わる事故になることが少なくない。


これも人の血を流す祭「血祭」であったことが
氏子達のDNAに刻まれているからかもしれぬと。


さて。


御柱の話しになってきたので、そちらに話しを移していこう。


御柱とはなにか、という話しである。


諏訪大社御柱祭というのは正式名称は「式年造営御柱大祭」という。


お宮を建て替える代わりに、四本の柱を建てる。
伊勢神宮などの文字通りお宮を建て替える「式年遷宮」と同じような
ものである、と諏訪生まれの私の母なども説明をしていたし、
おそらく今の諏訪地方の人々も、そう思っているのだろう。


が!。


戸矢氏によれば、そうではない!、と。


これも目から鱗
なるほど、と私は膝を打った。


あれはお宮の建て替えでもなんでもない。


例えば、伊勢神宮式年遷宮もお宮の造営に使う太い木材が各地から
氏子たちによって曳かれ、運ばれるが、諏訪の御柱とは大きく
違っている。


そもそも、諏訪は御柱をなににも載せずに直に道を
づるづると、曳く。
伊勢神宮であれば、立派な車に載せる。
諏訪の御柱は引いているうちに擦れて、随分と減ってしまうほど。


諏訪は人が土足で乗るし、そのまんま川に突っ込む、
崖から引っ張って落とす、
とてもお宮の神聖な用材の扱いではない。






つづく