浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)
断腸亭料理日記本店
 

東京ビッグサイト・日比谷・松本楼


6月28日(木)、29日(金)昼


さて、今週はビッグサイト


ビッグサイトで昼飯というと、
やはりここになるであろう。


日比谷[松本楼]。


ビッグサイトの中にレストランはたくさんあるが
やはりここ


松本楼]はご存知のように日比谷公園内にある老舗洋食店
創業は明治36年1903年)。


松本楼]は日比谷公園の開設と同時に公園内の
洋食店として開店していた。


日比谷公園が明治も36年になってできていた
というのは、多少驚かれる方もあるかもしれない。
もっと古いのではないかと。


日比谷公園の場所が公園になる前はなんであったのか、
少しさかのぼってみよう。


江戸期には内濠直近のこの場所はもちろん大名屋敷。
ここには長州藩(毛利)、佐賀藩(鍋島)、盛岡藩(南部)などの
上屋敷があった。


明治になり武家屋敷は取り払われたが、利用はされず
空地となり、日比谷ケ原などと呼ばれた。


大手町の今の三菱系の本社がたくさん集まっている三菱村も然り。
意外に、東京中心部は明治の初期、広い大名屋敷跡が利用されず
空地になっていたところがあったのである。
三菱は当時財政難の明治政府の足元を見て、あの一画を安く買い叩いた
などともいわれている。


ただ日比谷公園界隈はというと、空地は4年ほどで
陸軍の練兵場になり、明治21年に青山に移転するまで
明治天皇が閲兵するなど重要な施設であった。


今考えると、東京の中心部でそう広い敷地ではないところが
練兵場に使われていたというのは、ちょっと不思議ではある。
なぜ、こんな中心部に軍の練兵場を置いたのか。
ここに置く必要があった?!。


初期明治政府の中での軍の位置付けの高さ。
そして、当時の市民感情国民感情を考えてみる必要があろう。
「上からは明治だなどというければ、治まるめい(明)下からは読む」
なんという言葉が落語にも出てくるが、お上が、将軍様から天子様に変わっても、
俺たちの生活とは関係ねい、というのが庶民感情ではなかっかた。


そういう意味で東京市民、日本国民への示威、啓蒙、教育の意図があった
のではなかろうか。


ともあれ。
さすがに時間がたつと練兵場の移転が計画に登り始めた。
これは手狭であることに加え、存在感のある規模の軍を
首都中心部に置いておくことによる治安上の問題も
あったようである。
日比谷から霞が関は官庁街として整備されることが打ち出され、
今の官庁街の原形が出来上がったわけである。


ただ、日比谷公園付近は、旧日比谷入江の海で
地盤が低く、今も時折、日比谷濠はあふれることがあるが、
近代的な建物の建築には向いておらず、公園にすることに
決まったという経緯があったようである。


閑話休題


東京ビッグサイトの日比谷[松本楼]。


ここはカフェテリア方式。


木曜日は、ビフカツ、1,300円也。


安くもないが、ビフカツも二枚で

常識的な値段ではなかろうか。

アップ。


デミグラスソースがかかっている。


ここのデミグラスソースはさっぱり系。


最近、東京ではビフカツ専門店がたくさん
できて、流行りといってもよいくらい。
それらの多くはソースかしょうゆ系で
食べさせる。昔からある洋食系では人形町
[キラク]を思い出す。あそこもソースで
はなかったか。個人的にはデミグラスよりも
ソースやしょうゆ系の方が好みではある。


翌、金曜日は、カツカレー。



カレー自体はいわゆる欧風ではなく、
ノーマルといってよいと思うが、こってり系でうまい。
辛さは抑え目。
カレーは毎年9月25日に、日比谷の本店ではチャリティーの
10円カレーというのをしているが
この店の看板といってよいかもしれない。


ビフカツもそうだと思うが、カツを揚げているのは
ラードではないかもしれぬ。
上品な感じ。


しかし、カツカレーというのは私の好物であるが
偉大なものである。


発祥は銀座の洋食や[スイス]で戦後すぐ。
当時20代であったプロ野球巨人軍の千葉茂選手が行きつけで、
彼の好物のとんかつを同じく好物のカレーと一緒に
食べたいとのリクエストに応えたものという。


どちらも当時でも洋食の定番で
人気メニューであったものである。


あるものを一緒にしただけといってしまえば
それっきりであるが、この組み合わせ、
ナイスではないか、大発見である。


うまかった、うまかった。


ご馳走様でした。



やっぱり、洋食、で、ある。







日比谷松本楼