引き続き、11月の歌舞伎座、顔見世。
前回は一番目の「鯉つかみ」。
二番目は「奥州安達原」。
これは吉右衛門が座頭の芝居ということになる。
最終的な感想は、やはり、同じようにわかりやすく、
たのしめた。
私は初見。
初演は浄瑠璃で、宝暦12年(1762年)大阪竹本座。
近松半二、竹田三郎兵衛等合作。 翌年、江戸森田座で
すぐに歌舞伎として上演されている。
先代吉右衛門が得意にしていたとのことで、
当代吉右衛門が演じる。
そんなこともあってか、戦後もそこそこの回数
上演されているようである。
お話の舞台は、平安時代の奥州。
安達原というのは、今の福島県二本松市。
前九年、後三年の役という当時の東北地方で
おこった戦いがあった。
奥州の有力豪族で朝廷に従わない安倍氏、安倍貞任、
宗任兄弟らと朝廷から派遣された源頼時、その子の
義家(八幡太郎義家)などとの戦いが前九年の役。
この前九年の役が舞台。
私自身、大学受験では日本史を勉強をしたが
このあたりの東北地方の歴史は年号と人物名を
覚えたぐらいで、ほぼ門外漢。
ただこの芝居、史実をベースにしているが
多分に創作されたもの。
「環宮明御殿の場」という一幕。
別名、袖萩(そではぎ)祭文、とのこと。
全体の筋を追うのは、例によって今回もやめるが、
お話は下に出した、浮世絵の場面に尽きる。
実際の舞台は平安時代のはずだが、
歌舞伎の場合、メンタルは、江戸で描かれる。
親の反対を押し切って浪人と駆け落ちし、
勘当された娘(袖萩)が娘をもうけた後、夫が
行方知れずになる。幼い娘を連れて
夫を探して旅をしているうちに盲目になり
瞽女(ごぜ)となり、物乞い同然に零落する。
この娘が父の命の危機と聞いて、
敷居はまたげないが、屋敷を訪ねてくる、という
場面である。
いかにも、浄瑠璃が元の人情噺という感じであろうか。
浄瑠璃が元のお話は、有名で今も数多く歌舞伎として
上演されている芝居がいくつもある。
私自身、このあたりの一連の作品はどうしても
ストーリーに入りきれない。
例えば、菅原伝授の寺子屋あたりだが、
主(あるじ)のために自らの子供の命を犠牲にする。
現代の頭で見ると、とても共感できるものではない。
こういったものに比べれば、よっぽど
共感性は高い。
父親は武士の建前として、零落して盲目になっても
娘に声をかけてやることすらできない。
庭の枝折戸越しに娘の謳う祭文を聞いてやるだけ。
いい話しではないか、で、ある。
この芝居は、浄瑠璃から移されたので
当然義太夫節が入る。この場面、袖萩(雀右衛門)は
実際に三味線を舞台で弾くのだがこの三味線が
舞台上手の伴奏の三味線とピッタリ合っている。
舞台にかなり近い席であったから、
このぴったり合っているのがはっきり分かったのだが、
雀右衛門の袖萩は初役であったというが、
さすがのプロの業であると感心することしきりであった。
しかし、この「安達原」という話し、
ちょっと興味深い。
なにかというと平安の頃の前九年の役を扱っている
ということ。
そして、朝廷側の源頼義、義家ではなく、どちらかといえば
反乱軍である安倍兄弟が主人公で同情的に描かれていること。
人形浄瑠璃として大阪で書かれたわけだが、
おそらくそれ以外にも、読本やら、一般の人々に
当時よく知られているお話であったでのあろう。
八幡太郎義家は源氏の元祖的な人であり、
江戸を始め、東国では圧倒的な人気があったはずである。
このお話でも義家は、中村錦之助が演じ、
まだ若棟梁としてカッコよいキャラクターとして
登場する。
これに対抗する安倍貞任、宗任は顔に赤い隈取を入れ
荒々しい武者振りであるが、歌舞伎での扱いでは、
やはり一方のヒーローになっている。
ある意味、安倍兄弟も一般に人気があったのであろうと
想像ができる。
最初に、私は東北の古い歴史は門外漢
などと書いたが、その後の、奥州藤原氏あたりは
平泉が世界遺産になったので、ある程度注目されているが、
それよりも前の前九年の役などはやはり日本史上今も
日が当たっているとはいえまい。
そして、安倍貞任、宗任は中央からみれば辺境の
反乱軍で日本史上も存在感は低かろう。
江戸期、そうでもなかったこと。
なぜか、人気があった。
判官贔屓ということもあったのかもしれぬ。
これは、やはり明治以降の日本史観からと
いってもよいのかもしれない。
天皇を中心とする歴史観からすれば、
辺境の反乱軍など、取るに足らぬ存在であることは
いうまでもなかろう。
江戸の頃は、そんな歴史観はそこまで
強くはなかった。
源氏の元祖的棟梁八幡太郎義家は
支持はされるが、同時に安倍貞任、宗任も
応援と喝采の声を送る存在であったのである。
おもしろい。
つづく
画 国周 文久2年 (1862年)江戸 守田座
奥州安達原 娘お君 尾上菊松 袖はぎ 二代目尾上菊次郎
謙杖 初代中村鶴蔵