2月26(日)夜
結局、この週末は風邪でごろごろ。
夜、内儀(かみ)さんがすき焼きにしようとの発案。
家ですき焼きとなると、うちでは雷門の[松喜]の肉、
と、決めている。
[松喜]の創業は戦後すぐの昭和22年のよう。
浅草というところは、すき焼きも名物といってよいだろう。
数は多い。
[今半]は本店と浅草[今半]、建物が見事な[今半]別館と三軒。
これにひさご通りの[米久]、雷門通りの[ちんや]。
さらに、ステーキ系で[松波]あたり。皆老舗といってよろしかろうし
今も浅草の銘店である。
これだけすき焼きやが集まっている街は東京でもない。
これは浅草という街の特徴といってもよいだろう。
いや、それもあるが、浅草というところのまとまりの強さ
といえばよいのか、他の街にないものを感じる。
浅草だからこそ、これだけすき焼きやがあるというような。
東京の江戸、明治から続く古い盛り場といえば、日本橋、銀座、
上野、といったところが挙げられると思うのだが、むろんそれぞれ毎に
個性やカラーはあるが、浅草だけが今もちょっと別格で、より強い、
強烈な個性を放っているように思うのである。
もちろん、種々の浅草特有の歴史的背景もある。
観音様、浅草寺を中心に隅田川畔の渡河の街として、
江戸遥か以前、奈良時代から形成された。
そして江戸に入ってからも浅草御門の外で
奥州街道沿いの、ある種江戸周縁の街。そして、少し北には
明暦以降、吉原という江戸随一の遊郭がある(あった)。
こういった地理学的構造論というのか、空間論的側面もあるだろう。
だが、各方面から多角的、体系的に「浅草」を考えたものというのは、
意外に少ないかもしれない。
私なりに浅草をまとめてみようか。
いろんなハードルがあるのも事実だが一度、チャレンジしたい気もしてくる。
できるところ一部分でも始めてみるか。
閑話休題。
[松喜]のことであった。
[松喜]があるのは雷門通り沿い。
雷門から南に向かって右手、はす向かいに黄緑のひさしがあるのが
目印。
以前は二階でレストランをやっていたが、今は、一階の精肉のみである。
土日、祝日限定で神戸牛のコマが安売りされ、行列になっているのも名物。
内儀(かみ)さんが肉と材料を買ってきた。
肉の包み。
[松喜]の喜の字は、七を三つ書いたような、変体仮名。
これは喜そのものをくずした字、で、ある。
すき焼き、と、書いてある。確かに、牛肉以外は売っていないが、
すき焼きを食べさせる方が主だったのか。
以前にも書いていると思うが、私の子供の頃の肉やの包みは
みなこんな紙の包みであった。
今見ると、懐かしいし、なんだかありがたい。
開けると。
これも店名が入り、竹皮をイメージをさせる図柄の紙の経木。
水をはじくような加工と肉がくっつかないような
凸凹の表面加工がされている。
輪ゴムで留められた紙の包みを開ければ、
やはりこれが出てこなければいけない。
開けると、こんな感じ。
見事な霜降り肉、で、ある。
[松喜]でもいろんなグレードがあるが、
よさげなものである。
ねぎと焼豆腐。
そして、欠かせない、白滝。
お気付きであろうか。
この白滝、かなり細い。
これほど細いのは、ほとんど見かけなかろう。
家からもさほど離れていない、台東二丁目にある
[大原本店]のもの。
この白滝も[松喜]で売っている。
割り下も買ってきた。
さすがにプロのもの。自作するよりも、うまいし、便利。
肉も皿に出す。
カセットコンロを用意し、鉄鍋。
二人だと、少し大きい。
肉はすき焼き用に厚めに切ってある。
溶き玉子で、食べる。
これがまずいわけがない。
肉が厚いので、霜降り肉を食べています、という実感がものすごい。
また、細い白滝がまた、うまい。
細いと味が染みるのも早いが、
なにより、しこしことした食感がよい。
細い白滝というのは、むずかしいのであろうか。
圧倒的に細い方がうまいと思うのだが。
水炊きなどに入れてもうまいし、
鍋用にもっとあってもよさそうである。
うまかった、うまかった。
よい肉で、すき焼き。
そう頻繁に食べるものではないが、
やはり、たまには食べねば。
03-3841-2983
台東区雷門2-17-8