浅草・弁天山・美家古寿司 その1
2月11日(水)祝日 夜
さて。
鮨を食いに行こうか。
いろいろ考えて浅草の[弁天山・美家古寿司]にした。
美家古はみやこと読ませる。
ここへ行くのは、実に久しぶり。
おそらく20代の頃、内儀(かみ)さんと
行ったっきりであった。
ここは、その頃からいわゆる“江戸前の仕事”を
売りにしていた。
我々は年も若く、カウンターに座って、なんだか
とても緊張した記憶しかなく、それ以来、
足が向かなかったのが本当のところであった。
[美家古]はもう一軒、柳橋にあって[美家古鮨本店]という。
この系統は神田[鶴八]から新ばし[しみづ]他、
一通りまわって、今は[しみづ]に出かけている。
柳橋も弁天山も慶応2年創業を謳っており、屋号の字も同じ。
なんらか関係があると思うのだが、詳細は不明。
江戸前仕事を看板にしているのも同じである。
この年齢になって[弁天山・美家古]再挑戦?!。
3時ごろTELを入れてみると、日曜祝日は通しの営業で、
5時までだそうで、5時からは一杯で、慌てて4時に
行くことにする。
今日は歩いて向かう。
少し陽気がよいようだが、厚いダッフルコートに
マフラー、手袋もして歩く。
弁天山というのは、地名といってよいのだろう。
浅草寺の南東の端っこにちょっとした丘があって、これが
弁天山。
弁天様のお堂と、浅草の時の鐘がある。
弁天様のお堂のある山だから、弁天山なのであろう。
この弁天様のお堂と時の鐘は江戸の頃から
ここにあったのであろう。
時の鐘とはむろん、江戸の頃、界隈に時刻を知らせた鐘である。
この近くでは、上野の山にもあって、見た目には
皆さんご存知のお寺の鐘と同じようなもの。
この山の表通りに[弁天山美家古寿司]がある。
ちなみにこの表通りは馬道(うまみち)という。
東武の浅草駅=浅草松屋の西側の広い通りである。
東武の浅草駅からくると伝法院通りの少し先、左側。
4時少し前に店に到着。
店の間口は二間ほどであろうか。
小さな店である。
入るとカウンターが奥に向かってあり、
さらに奥にテーブルが二つほど。
中もやはり大きな店ではない。
カウンターの向こうの、若主人に名乗る。
先客はカウンター出入口側に30代くらいの若めの男女。
コートを預けカウンターの奥に座る。
ビールをもらい、品書きを見る。
ここは昔からの老舗らしく、2,000円の一人前からあるが、
せっかくなので10,000円のおまかせを頼む。
中身はつまみ2〜3品とにぎり。
ビールがきて、お通し。
(今日は最初に断わって、写真を撮らせてもらう
許可を得た。)
ほっき貝のヒモという。
ちょっと酢で洗ったくらいか。
つまみ一品目。
これはなんだと思われようか。
刺身は見た通り、まぐろだが、まわりは海苔の佃煮。
江戸前正統、仕事の店というイメージを
快く裏切られた感じであろうか。
海苔の佃煮はむろん江戸からあると思われるが
まぐろの刺身と合わせるというのが昔からあるので
あろうか。
海苔は甘すぎず、まぐろとなるほど合ってうまい。
わさびがまた、よいアクセント。
出してくれているのは若主人。
眼鏡をかけた親方はもう一組の方の担当。
我々が20代の頃、怖かった方。
無口ではないのだが、物静か。
これがどうも、近寄りがたい感じを抱かせたのかもしれない。
若主人、六代目の方は、41歳か。
つまみ二品目。
これは鮨やのつまみとしては、オーソドックスであろう。
平貝の磯辺焼き。
間にちょんと置かれているのが、生七味とのこと。
これはおもしろい。
生ということは、唐辛子、山椒などが生、ということか。
塩漬けのようであるが、香りがよく、このまま舐めても
うまい。
これもオリジナルのものか。
やっぱり、弁天山美家古も変わったのか。
これは見た通り、ぬた。
白味噌に辛子が添えられている。
いかはすみいかとのこと。
まあ、オーソドックスである。
つづく