6月4日(水)夜
水曜日。
仕事帰り、なにを食べようか、考える。
今日は上野御徒町で降りて、松坂屋へ寄ってみることにした。
最近、広小路の松坂屋はリニューアルしたが
ちゃんと見るのは初めてである。
丼もののイートインコーナーなどできている。
そのせいであろうか、食品売り場自体は、狭くなっているような
気がするのだが、気のせいであろうか。
洋食、あるいはフレンチのお惣菜でも
買って帰ろうかと思ったのだが、今一つピンとくるものがない。
代わりに、臨時の企画もののようだが、根岸の老舗豆腐料理店
[笹乃雪]が出ていた。
[笹乃雪]の豆腐は、以前、牛込神楽坂駅そばのスーパーに
置いていたので、たまに買っていたのだが、
あまり売れなかったからか、いつしか置かなくなってしまい、
最近では買えなくなっていた。
皆さんは[笹乃雪]という家をご存知であろうか。
私自身、子供の頃から実に最近まで、豆腐というものは
たいしてうまいものではない、と、ずっと思ってきた。
それが、ここの豆腐を食べて、実にうまいものである、と
豆腐というものも認識をあらためるきっかけになった
のであった。
今はそうでもないのかもしれぬが、
以前スーパーなどで安く売っていた豆腐は
水っぽくて、豆腐らしいうま味というものが
なかったのでなかろうか。
そういうものを豆腐と思って育ってしまったから
なのかもしれない。
根岸[笹乃雪]。
いや、その前に、根岸。
台東区にお住いだったり、ご近所の方は、
説明はいらないかもしれぬが、東京の方でも
今はあまりピンとこない地名ではなかろうか。
駅でいえば、山手線の鶯谷。
鶯谷は上野の次(北)。
江戸の頃のものの本には「呉竹の根岸の里は
上野の山陰にして幽趣あるが故にや。
都下の遊人多くはここに隠棲す」、などと
書かれている。
上野の山とにはむろん、幕府の菩提所でもある、
東叡山寛永寺があったわけである。
寛永寺の主(あるじ)は輪王寺の宮様と呼ばれ、代々
京都から今でいう皇族、宮様が務めていたわけだが
その別邸がこの根岸にあった。
また、江戸期を通して大店の寮(別荘)やらあり、江戸の市中から離れ、
風流人が棲むところであった。
明治になってもかの俳人正岡子規なども住居し、
引き続き風雅な場所であったと思われる。
鶯谷という駅は明治45年の開業でおそらく
この前後が境なのであろう。
この風雅な里は、根岸の花柳界になる。
大正11年の数字では、料理屋23軒、待合17軒、
芸者置屋35軒と、花柳界として、押しも押されもせぬ
存在に、なっていたようである。
(「花街」加藤正洋氏、より)
この根岸の花柳界の名残というのか、
当時の料亭が移り変わった姿が鶯谷駅前に今あり
山手線からも見えるラブホテル群。
ともあれ。
そんな今の鶯谷、根岸ではあるが、
[笹乃雪]は江戸もまだ元禄の頃、
初代が、宮様のお供をして、京都から江戸へきて
豆腐料理やを始めた、という。
それから三百有余年、時代や地域の変遷を越えて
[笹乃雪]はここでも豆腐を作っているのである。
一丁というのか、一箱、600円也。
(普通の二丁分以上はある。)
購入。
それから、魚売り場で、安くなっていた平目の刺身と、
谷中生姜を買って帰宅。(そういえば、谷中は根岸の隣である。)
これが[笹乃雪]の絹ごし豆富。
開けると、こんな感じ。
刺身を切って、豆富も切って皿にのせ、
谷中も味噌を添えて出す。
[笹乃雪]の絹ごしの、奴。
(これで1/4)
薬味はなしで、しょうゆだけ。
絹ごしだが、適度な硬さがあり、うまみにあふれた
豆富である。
まさに堪えられない。
いくらでも食べられる。
江戸銘品、根岸[笹乃雪]の豆富、で、ある。
台東区根岸2-15-10
TEL:03-3873-1145