浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



両国・山くじらすき焼き・ももんじや

4263号

2022年12月29日(木)夜

旧臘のことで恐縮だが、ここは記録のためにも
書いておきたい。
暮れと新年のドサクサで書き落としていた。

毎シーズン必ず行っている。
両国の[ももんじや]。

猪鍋、で、ある。

むろん、私も好きなのだが、どちらかといえば、
内儀(かみ)さんの方が上なのではなかろうか。
毎年、行きたがる。

享保3年(1718年)創業。
享保というと、暴れん坊将軍吉宗の治世。

私達が今思い描く、江戸っ子がいる江戸らしい江戸、
にまだ江戸がなる前といってよいと思う。
江戸時代の真ん中は1735年で享保の最後の年、20年。
それよりも少し前。
享保よりも前、例えば元禄あたりでは、まだまだ
京、大坂、上方のほうが文化的には上で、江戸は田舎。
江戸に住む江戸人が、ある程度江戸人であることを
誇りに思うようになるのは、もう少し後、私は、
蜀山人太田南畝先生の頃からと考えている。(南畝先生は
田舎者をディスッたりし始めている。)世の中は田沼時代、
あるいはその後の松平定信の寛政の頃。享保からは
まだ50年ほどある。
さらに、江戸らしい、浮世絵が流行ったり、うなぎの蒲焼、
にぎり鮨が出てくる、文化文政期はさらに後、[ももんじや]
の創業から百年もある。

まあ[ももんじや]の創業はそれほど前、
ということになる。
東京で現代まで続いている料理やの暖簾では二番目に
古いのではなかろうか。むろん私の知る限り、だが。
最も古いのはどこかおわかりになろうか。
今、残念ながら一時閉店中で再開が待たれるが、
あの根岸の豆腐料理店[笹乃雪]で元禄4年(1691年)。
[笹乃雪]は上野の宮様に随行して京から江戸へきた
ので古いというのは納得できるが。

ともあれ[ももんじや]。

京葉道路沿いにこのぶらさがっている剥製。
やっぱり、グロい。
以前は、もっと薄暗く、ほんものを下げていた、、、。

玄関。

微妙に開店前で、ちょっと待つはめに。

開店と同時に入る。むろん、予約はしてあった。
なかなか人気のよう。

二階の座敷。

ガスもついていないので、部屋がまだ寒い。

猪鍋のコース。
特に他のものは、頼まない。
そして、寒いがビール。

煮込み。

味噌味で、猪の筋であったか。
かなり、うまい。いつも思うが、もっとほしい。

つゆが張られた鍋がきた。

つゆだけではなく、味噌も入っている。

火をつけ、猪肉が入る。

豚肉とは脂身の部分など随分違う。
イノシシとブタとは生物学的には同じという。

まあ、豚肉でも鹿児島の黒豚だったり、スペインの
イベリコ豚だったり、見た目も味も随分違うが。

毎度書いているが、猪肉は、すぐには食べられない。
いや、食べても別段生ではないので大丈夫なのだが、
堅い。

だが15分程度煮ると、これが驚くほど柔らかくなるのである。
スマホのタイマーをセット。

野菜も入る。

根っこ付きの芹、長く切った白ねぎ、
ちょっと写っていないが、豆腐、白滝。

やっぱりごちゃごちゃ入らない。
これも江戸前鍋といってよいだろう。

肉が煮えるのに時間がかかるので、すぐに火が入る
芹などは後でもよいのだが、やっぱり腹が減っているので
先に入れてよいだろう。

芹はそろそろいいかな。

我慢できず食べ始める。

寒いので燗酒に。

やっと、タイマーが鳴った。
芹はほぼ食べ尽くしている。
肉は柔らかくなったか。

この味噌のつゆはそこそこ甘め。
この赤黒い色、ここもあの江戸伝統の味噌、
江戸甘ベースなのであろう。

ふむふむ。
猪肉はちゃんと柔らかくなっている。

脂身が多いようだが、不思議なことに、
豚肉ほど、ギトっとした感じではない。
なぜであろうか。
思いの他さっぱり。

あらかた食べ終わると、飯を頼む。

ねぎと温泉玉子。お新香。

鍋に残ったつゆと温泉玉子、ねぎを
ご飯にぶっかけて、掻っ込む。

これがまずかろうはずがない。

ご馳走様でした。
うまかった。


ももんじや

墨田区両国1-10-2
03-3631-5596

 

 

※お願い
メッセージ、コメントはFacebook へ節度を持ってお願いいたします。
匿名でのメールはお断りいたします。
また、プロフィール非公開の場合、バックグラウンドなど簡単な自己紹介を
お願いいたしております。なき場合のコメントはできません。