浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



根岸・笹乃雪の豆腐であんかけ豆腐 その2

先週から引き続き、根岸[笹乃雪]。


根岸[笹乃雪]では豆腐を“豆富”と書いている。


「江戸名品 絹ごしどうふ
根岸豆富料理 笹乃雪
代々宮家御用達」


とある。


これであんかけ豆腐を作る。


あんかけ豆腐。
先に池波レシピと書いたが、
先生の不朽の看板3シリーズ「鬼平」「梅安」「剣客」の
どれにも登場する。(以下再録)


鬼平
*****
清水門外の盗賊改役宅の外の濠端に夜、茶飯売りが荷を降ろす。
それを、平蔵が、うさぎ(木村忠吾)などに買いにやらせる、、。
その茶飯売りは、餡かけ豆腐や、けんちん汁も出す、と、いう。


鬼平犯科帳(八)

池波正太郎著「鬼平犯科帳八巻」より「あきれた奴」 文春文庫)
*****


うさぎが出てくるのがいかにも、で、ある。
茶飯売りという屋台があったのか。※


梅安。
*****
浅草のはずれ、塩入土手下の一人住まいの我が家に帰ってくると
彦次郎は、仕掛けの依頼の結び文に舌打ちをし、火を起こし、
土鍋で豆腐を煮、鉄鍋で葛餡をこしらえ、
『豆腐に熱い葛餡をかけまわした一鉢と大根の切り漬だけで、、』
五合ほどのんだ。



梅安最合傘 仕掛人・藤枝梅安(三) (講談社文庫)

池波正太郎著 「仕掛人藤枝梅安三 梅安最合傘」より「梅安流れ星」
講談社文庫)
*****


餡かけとは書かれておらず、ただ葛餡とのみ。
だがまさか、しょうゆ味もついていないということはなかろう。
彦次郎は渡辺謙版梅安の、橋爪功氏を思い出す。
情景を思い浮かべるだけで、微笑んでしまう。


剣客。
*****
新婚間もない、大治郎が、大坂へ旅立つ。
その朝、父の小兵衛、新妻の三冬、四谷の御用聞き・弥七が
高輪の〔七軒茶屋〕まで見送りにくる。
その〔亀屋〕という休み茶屋の二階の入れ込みの大座敷。
障子を少し開け、品川の海を見ながら、小兵衛は、
『熱々の餡かけ豆腐で酒を』のむ。

剣客商売六 新妻(新潮文庫)

池波正太郎著 「剣客商売六 新妻」より「川越中納言」新潮文庫
*****


休み茶屋で出てきそうな、餡かけ豆腐。
小兵衛が呑む酒はおそらく燗酒であろう。
いかにも、うまそう。


池波先生は時代考証をある程度されており、これだけ作品に出てくるのは、
江戸期(中期以降)あんかけ豆腐とは、安くありふれているが、
皆に好まれた肴であり、おかずであったのであろう。


また、あるいは、ここ40〜50年の私の記憶のある範囲では
あんかけ豆腐というのは、家庭でも出たことはないし
外で食べるメニューでも既になかったと思う。
しかし、池波先生の実体験で東京下町の家庭で、または、
居酒屋で、定番の肴でありおかずであったのかもしれぬ。


[笹乃雪]では看板料理。
小さいものだが、出されるときには必ず二椀で出される。
これは、その昔、宮様にお出ししたところ、美味ゆえ
次からはお替わりとともに二つ出すようにとの
お言葉を賜ったということによるようである。


ありふれた庶民の食べるものを、宮様も食された、というのは
いささか疑問もあるが、宮様とはいえそんなものであった
のかもしれぬ。


さて、作る。といってもまったくたいしたことはない。
彦次郎が出汁をとったかは謎だが、私は出汁を取り、餡を作り、
温めた豆腐にかける。


まずは出汁。


精進らしく、椎茸と昆布にしよう。


椎茸はスライスの乾燥もの。
昆布は、久しぶりによいもの、真昆布。


鍋に水を張り、椎茸と昆布を入れ、沸騰前に火を止めて
しばらく置く。


豆腐は切って、水を張った鍋に入れ、温めておく。


出汁は色がついてくればよいだろう。
椎茸はそのまま具にするとして、昆布だけを取り出す。
あとは、しょうゆと酒、みりんも少し入れようか。
生姜を風味付けに入れる向きもあるが、わたしは
ない方が好み。
ただ豆腐が淡泊なので、しっかりめに味付け。


味見、OK。


一度煮立てて片栗粉でとろみ付け。


温まった豆腐を皿に取り、椎茸とともに餡をかけまわし、
出来上がり。



[笹乃雪]の豆腐というのは、驚くほど濃厚。
そして、上質ななめらかさ、舌ざわり。


この豆腐を食べるまで、豆腐のうまさを私自身
認識していなかったかもしれない。


豆腐というもの、子供の頃はたいしてうまいものとは
思っていなかった。
まあ、あまり子供の好むものでもないが。
大人になっても、スーパーに売っている数十円の
ものしか食べたこともなく、たいしてうまいものではない
という意識は続いていた。
いや、これは東京の、という限定はつくのかもしれない。


学生の頃、専攻していた民俗学の卒論を書くために、
新潟県最北の山北(さんぽく)町というところへ調査に行っていたとき、
院生や同級生の同宿していた仲間と地元の木綿豆腐で
湯豆腐をしたことがあったが、あれはうまかった。
そう、田舎の豆腐は大きくて堅い。
昔は縄で結べた、なんということもそこで聞いたような
気がする。
当時の東京のスーパーに出回っている
大量生産品とは同じ食い物とはとてもえなかった。


ひところからすれば、今のスーパーの豆腐も大分
変ってきている印象は持っている。
だが私、白状をすると豆腐というものにあまり入り込まないように
している。理由は奥がとても深そうだから。
日本酒、ワイン、スコッチウイスキーなどの伝統のある酒類
パン、なども近いかもしれぬ。これらも入り込まぬように
している。天然の材料、原料を使い、サイエンスで説明できそうな
ところもありながら、伝統のものなので職人仕事もあり、
それでうまいまずいの結果が出るのだが、飲食する人間の感覚にも
左右される、という曖昧なところもある。
まったく奥が深い。
おそらくはまると、とめどない。


まあ、それで、私はよい豆腐というと根岸[笹乃雪]に
決めている、のである。


味だけではむろんない。歴史も含めて、で、ある。
これも東京の重要無形“食”文化財として認定すべきもの
であろう。








笹乃雪




※茶飯売りは江戸末には定番の商売であったよう。正確には振り売り。
幕末の風俗百科事典のような一次史料「守貞謾稿」に出てくる。
鬼平の舞台は田沼時代なので時代的には多少早い可能性が
あるかもしれない。この「守貞謾稿」に茶飯売りはあんかけ豆腐も
出すことが書かれている。(池波先生はこれを読まれているか。)
ついでに、先日、おでんの[お多幸]でおでんと茶飯は昔からセットで
あったと書いた。江戸末から明治初めに田楽から煮込みのおでんが
生まれたわけだが「守貞謾稿」には同時に“茶飯おでん”
という言葉も出てくる。煮込みのおでんになる前から、つまり味噌などを
つけて食べる田楽の頃から、あんかけ豆腐と並んで茶飯とおでん(田楽)は
セットで売られるものであったようである。