浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その30 江戸っ子?2.「三方一両損」と「江戸っ子論」


さて、前回は、「大工調べ」。
今回は、「三方一両損」。

三方一両損


この話、昔は、修身の教科書(戦前の道徳教育)にも載っていいた、とか。


江戸っ子の美談、と、いうのであろうか。


ストーリー

ストーリーというほどのものでもない。


とある、男が、財布を拾う。
金三両と、書き付けと、印形(いんぎょう。印鑑のこと)が入っている。
書き付けから、所と、名前がわかる。
届に行くと、書き付けと、印形は貰っておくが、金はいらない、
と、いう。
俺の懐にいずらくなって、出ていった金だから、いらない、と、いう。
せっかく、持って来たんだから、「受け取れ」、「受け取れない」で
取っ組み合いの喧嘩になる。
大家が仲裁に入り、止める。
これから、白黒付けよう、と、いうことで、
奉行所へ、訴え出る。


どちらも受け取れない、と、いうので、
大岡越前守様の、御裁きは、
「では、この三両、越前が、しばし、預かりおく。
 改めて、二両ずつ、正直な二人に褒美として、遣わす。
 これが、三方一両損と、いう。」


二人とも、貰ってしまえば、三両得たことになる。
それが、二両になったので、一両ずつの損。
御奉行様も一両加えて、各々に二両を渡したので
一両の損。これで、三方一両損


下げは、この御裁きの後、御膳が出され、
二人は、バクバク食う。
御奉行様が、
「食べ過ぎるなよ」
「なーに、多くは(大岡)食わねえ、たった一膳(越前)」


現代的には、ちょっと、意味のわからない、噺かもしれない。
下げも、かなり、きびしい。


作品として、生き残っていけない噺かもしれない。


この噺の中に出てくる、江戸っ子のセリフで、
「俺は、銭なんかいらねえ、んだ。
俺は、出世するような不幸には出会いたくない、と、思って、
毎日、祈ってるんだ、、、。」
と、いうのがある。


また、よく江戸っ子というと、「宵越しの銭は持たねえ」、などともいう。


またまた、今回も「落語案内」から離れてしまい、
江戸っ子論、のようなことになる。

「江戸っ子論」


芝で生まれて神田で育ち、という、「江戸っ子」という言葉も
もはや、死語、に、なりつつある。
筆者の子供の頃には、まだ、江戸っ子という言葉はあった。
東京で生まれ育って者としては、やはり、寂しい、というのが
本音である。


地方の時代などといいながら、東京だけ、
地方としての東京、=江戸らしさ、が、どんどんなくなっていく。
街並みや、町名だけではなく、人の心からも江戸らしさは、
どんどんなくなっていく。
日本中から人が集まり、薄まっていく、首都、の
宿命なのかもしれない。


また、東京人自体にも、東京らしさ、にこだわるのを
潔し、と、しない、(言い過ぎである)、かっこ悪い、と思う、
そんな気質もある。
(それが、粋である、という。また、それこそ江戸からの、美学、
誰かがこれを、江戸人=徳川の幕臣達、が持っていた滅びの美学、
と、いう言い方をしていたように思う。
田舎者の薩長の奴らが来ても、滅んだ我々である、
グズグズ言ったってしかたない、黙って滅ぶのが、かっこいい。
これが、滅びの美学、で、ある。)


ともあれ、滅んでいくのは、仕方のないことかも知れない。
明治以来、断腸亭・永井荷風先生から始まって、
池波正太郎先生、も語っており、本当は今始まったことではない
のかもしれない。
(しかし、確実に、速度も速くなっており、確実に滅んだものも多い。
先の、「三方一両損」は、間違いなく、滅ぶであろう。)


さて、落語に登場する「江戸っ子」のことである。


一つ断っておきたいのは、池波先生もよくいっておられたが、
落語や芝居に登場する「江戸っ子」は本当の江戸人、東京人の
姿ではない、と、いうこと。
昔、「江戸っ子」という言葉が人口に膾炙していた頃、
いわゆる「江戸っ子」風を吹かす、田舎者を馬鹿にする、
そんな風潮もあった。
前回の、「大工調べ」の棟梁のように、喧嘩っ早い、
跳っ返り者、お調子者、=江戸っ子の典型、という風潮。
池波先生は、そんな風潮が嫌いであった。
そして、江戸人=東京人は、そんなものではない。
江戸人=東京人を一言でいうと、「信義に厚い」、という。


これも、江戸人の真実である。


また、信義、につながるかも知れぬし、
また、街で育った人間の特徴だとも思うが、人が多い分、
他人を慮(おもんぱか)る気持ちが強い、というようなことも
江戸人=東京人の持つ美点ではないかと思っている。


そして、先の
「俺は、銭なんかいらねえ、んだ。
俺は、出世するような不幸には出会いたくない、と、思って、
毎日、祈ってるんだ、、、。」
と、いうセリフ、である。


現代から、考えると、まったく理解不能であろう。
しかし、こう考える気質は、デフォルメされているが、
確かに江戸人、にはあった。
これは、なにも、粋がっている、だけではない。
簡単にいうと、己(おのれ)を、大切にしたい、
ということである。
(ただ、我がまま、なだけ、ではないか!、
とも聞こえるかも知れないが、そうではない。
己を大切にする、ということは、
同時に他者も大切にするということであり、
江戸人は、人様に迷惑をかけない、のである。)


出世をする、ということは、人に頭を下げること、
それで、己を捨てるのは、いやだ、ということ。


こうした気質もなくなっていく、理解されなくなっていく、
のであろう。