浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その23 富くじの噺のこと、その2 「宿屋の富」


昨日に引き続き、富くじ
今日は、宿屋の富。


この噺も、志ん生である。
どうも、志ん生という人、富くじが好きであったのであろう。
ことのほか、楽しそうに、話している。
もともとは、上方の噺で、あるようだが、
志ん生師によって、いかにも江戸の噺になっている。


ストーリー


とある、金がない男が、馬喰町の夫婦二人でやっている、
小さな宿屋に入ってくる。
昔(明治の中頃まで)、この界隈、宿屋が集まっていたのである。


この男、田舎の大金持ちで、千両箱がうなっている、など、
おおぼらを吹いて、信用をさせる。
宿屋の主人は、かたわら、富の札も売っており、大金持ちといった手前、
なけなしの1分で買ってしまう。
そして、大金持ちで千両なんぞ、いらないから、もしも、
あたったら、宿屋の主人に半分やる、と約束する。


例によって、富くじ抽選の場面。
神社の境内である。
志ん生師は、この噺では、湯島天神にしている。)
この噺では、当たったらどうする、こうする、が
膨らまされている。


そして、例によって、こ奴に当たる。
がたがた震えながら、宿屋に帰ってくる。
寒気がするから、と、床を取らせ、寝てしまう。


宿屋の主人も気になって見にきてみると、当たっている。
同じ様に、がたがた震えながら戻ってきて、
女房に富が当たり、半分もらえることを話し、
酒の仕度をさせ、男の寝ている部屋へ上がってくる。


宿屋の主人は、あわてて、下駄を履いて上がってきてしまった。
酒の仕度ができているから、起きてください、と、
布団をめくると、この男も、草履を履いて、寝ていた。


噺の面白さからすると、どうにも間抜けな下げ、である。
下げにもなっていないように、思われる。
ここまでくると、馬鹿馬鹿しさが、よい、ともいえようか。



この噺は、抽選前の風景である。
この部分は、いろんな会話を入れると、長くもなる。


中で、俺は、一番富には当たらない、という男がいる。
なぜかというと、神様が夢枕に立って、お前には二番の
500両が当たる、と、いわれた、と、いう。
当たったら、どうするかというと、
大きな財布をこしらえて、500両を崩し、
全部そこに入れ、懐に入れ、吉原へひやかしに行く。※
馴染みの女郎(おんな)のところへ行くが、金がなくて、
登楼(あが)れない、と、いう。
すると女は、自分の簪(かんざし)で都合をし、金を作って、
登楼てくれる。『惚れてるんだよ〜。』
と、酒でも料理でも、どんどん持ってこい。金なら、ここにある。
と、財布から、金を、ザーっと、ぶちまける。
そして、身請けをして、世帯を持つ。
朝起きると、
「お前さん、お湯いっといで」
で、帰ってくると
お膳があって、酒があって、一杯呑んで、寝ちゃて、
また、起きると
「お前さん、お湯いっといで」
で、帰ってくると
お膳があって、酒があって、一杯呑んで、寝ちゃて、
また、起きると
「お前さん、お湯いっといで」
・・・。」
「で、当たらなかったら、どうすんの?」
「うどん食って、寝ちゃう」


いよいよ、二番富。
「おい、お前さんだよ」
「そ、あっしだ。ね、ね、みんな。あっしのはね、
 辰の2341番ってんだからね。いいかぁ、辰だぞ。辰のぉ」

「辰のぉ〜」
「ほーら、辰だ。ね、2千」
「2千・・・」
「どうです。頼むよ、、3百」
「3百」
「40」
「40」
「おいおい、凄いね、一心てぇものは。引っ張り出してきたぜ。」
「ここですよ。ここ。女身請けするか、うどん食って寝ちゃうか、
 どっちかなんだから。頼むよーー!、1番ーーーー」

「7(ひち)番ーーー」


やはり、この噺、ここが、1番、可笑しかろう。


談志家元も演る。
前半のホラ話が、膨らまされており、面白い。


※ひやかし:本来なら、廓の噺、のところで書くべきであったが
忘れていた。素見(すけん)などともいうし、素見とかいて、ひやかす、と
読ませたりもする。また、ぞめき、などともいう。
登楼しないで、張り見世など、ただ、見て回ることを、
ひやかす、と、いった。
吉原を、ひやかして歩くだけでも、楽しい。
これも一つの吉原風景であったようである。
吉原の「ひやかし」だけが好きな人が、家の二階に、
吉原を作ってしまい、そこで「ひやかし」をする、という
シュールな噺「二階ぞめき」などというのもある。


物を買わないのに、見て回ることを、ひやかし、と、いうが、
これも、もともとは、吉原の、ひやかし、から出ていると、
ずばり、志ん生師が枕で、いっていたりもする。


由来は、昔、吉原のそばに、紙を漉く職人が集まっていた。
そこで、紙漉の職人が、材料を、ひやかし(水に浸して、
ふやかすこと。)ている間に、吉原へ、「ひやかし」に行った、と、いう。
吉原のそばの、山谷堀に、紙洗橋という橋もあった。
(今は、交差点の名前に残っている。)


「ひやかす」は、江戸弁であろうか。筆者の家では、
米を研いで、水に浸すことを、ひやかす、といっていた。
結婚してから、内儀さんに話すとそんな言葉は知らない、
という(もっとも、北海道人であるが、、。)。
辞書にも、上の意味しかない。
東京の方、いいませんか?米をひやかすって。