浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その20 廓の噺、の、こと 4.「品川心中」


「おや、どこ行くんだい?」


「北向(きたむきは)は、どこが目当てか、赤とんぼ、、」


「一人かい?」


「色にゃ、なまじ、連れはじゃまよ、、、。」


などという、セリフがある。
(ちょっと、言ってみたいセリフでもある。)


吉原を北郭(ほっかく)、あるいは、ただ、北。
これに対して、品川を南、といった。


新宿、千住よりも、吉原の次といえば、品川、であったようだ。


品川といえば、有名な二席。
居残り佐平次」と「品川心中」で、ある。


もしかすると、筆者、落語の中で、最も好きなものを挙げろ、
と、いわれれば、「居残り佐平次」かも知れない。


さて、まずは、「品川心中」から。


この噺、とても有名である。
「品川心中」などという、名前がまた、よいのであろう。
人情噺ではないが、長い噺、大ネタであろう。
上下に分かれてもいる。
円生師、志ん生師、正蔵師(先代)。談志家元も演(や)る。

正直にいうと、有名な割に、筆者、左程の思い入れがない。
なぜであろうか。


品川は今は、影も形もない。
旧東海道品川宿は、今は、品川区北品川
(昨日書いた、土蔵相模は、今は、ファミリーマートである。)
京急線北品川駅から、新馬場にあたる。


影も形もない、からであろうか。
そうでもない。
有名な割に、たいしておもしろくない。そういうことである。


舞台は、品川の徒歩新宿(これは、かち、しんしゅく。と、読む。)の
「化け物白木」という妙な名前の店。


ここで、板頭(いたがしら)を長いこと張っていた、お染という女。


吉原では、その店のNo1.を、お職(しょく)、と、いったが、
品川では、こういういい方をしたようである。
昨日、花魁とはいわない、と、書いたが、こうしたところも、
いい方が違っていたようである。
言葉は違うが、システムはたいして違わなかったのであろう。


吉原も同様であるが、こうしたところには、
紋日(もんぴ)あるいは、物日(ものび)といって、
四季いろいろに、イベントがある。
衣替えなどが、その代表的なものであったようである。
四月は、朔日(ついたち)。
座敷着が袷(あわせ。綿の入らない着物)になる。
五月は、五日六日。この日から、夏衣装。


余談だが、仕舞(しまい)、仕舞日、などという日もあった。
(紋日は、仕舞日ともイコールであったようである。)
仕舞日には、あらかじめ、遊女は、馴染み客からの予約をあらかじめ取り、
この日は、店に損をさせないように、しなければならなかった。
逆にいうと、この日は、客は予約をしていないと、
遊べない、ということである。
(一般には、仕舞、は、おしまい、しまうこと、から来ている言葉である。
円生師匠なんかも、使っているが、
「おでん屋で、おでんを総仕舞にする」、と、いうような
いい方をしている。おでんを全部買ってしまうことである。
つまり、遊女屋の「仕舞」は、予約でうめて、その日は仕舞、
おしまい、にする、そういうことであろう。)


また、先の紋日である、衣替えには、手拭や浴衣を配ったり、
店の者に祝儀を出したり、もしなくてはならなかった。
このために、仕舞日と合わせて、遊女達は、馴染み客に無理をいったり、
借金をして、金策に苦しんだと、いう。


さて、お染。
長いこと、板頭、No.1であったが、年と共に、若いものに
抜かれていく。
(お茶を挽く、なんという言葉はご存知であろうか。
まったく、お客が付かないことを、こういう言い方をする。
昔、遊女屋では、抹茶を出したのであるが、
暇な遊女は、この、抹茶用のお茶葉を石臼で挽いた、
ことから来ている。)


紋日なのに、客が来ない。金が集まらない。
(噺の中には出てこないが、先の話から、
きっと、借りも貯まっているのであろう。)
勝気な性格である。困った・・・。どうしよう・・・。


なにか、書いていて、今でもどこかに、
ありそうな話しのように、思えてきた。
毎度書いているが、女の見栄の、世界である。


死のう。


一人で死ぬんじゃ、カッコがつかない。
心中である。心中であれば、浮名が立つ。
親もなく、内儀さんもいなく、こいつなら、いいだろう、と
選ばれたのが、貸し本屋の金蔵、と、いう男。
こやつ、人はいいが、金もなく、はっきりいって、馬鹿。


お染から、相談がある、という手紙をもらって、
喜び勇んで、やってくる。
心中の話を持ちかけられ、なんだかんだいうが、
結局、応じる。


二人で、品川の海へ飛び込むことになり、
先に、桟橋から金蔵が、ドカーンと、飛び込む。
と、ちょうどそこへ、お染の別の馴染み客が、金を持って来た、という。
お染は、それならば、なにも死ぬことはない、
「失礼〜〜」と、行ってしまう。


さて、金蔵。品川の海は、遠浅(とうあさ)である。
こんな海で、飛び込んだって死ねるわけがない。
立ち上げれば、背が立つ。
助かったわけである。


金蔵は、その足で、貸し本の親分の家にいく。
ここまでが、上。
これから、仕返しをしてやろう、と、いうことになり、
金蔵は幽霊になり、親分がお染を坊主にしてしまう、
というような、筋書きである。


下の方は、昔もあまりやられなかったようである。


見せ場、聞きどころは、心中の前。


二人が、店の裏庭へ出て、
プツ、プツ、と大粒の雨が降ってくる。
品川は当時、すぐに海であった。

上総、房州から打ち寄せる波が、ザブーン。
桟橋へ出て、、、


このあたりの情景描写である。


「品川心中」の場合、噺のテーマではなく、こうした、
情緒がよい、と、いう、ことになっている。


しかし、それだけでは、なかろう。


この噺は、金蔵ではなく、お染。
先ほども書いたが、なぜ、死のう、と、まで思ったのか。
やはり、現代的には、あるいは、男の目からは、
ほとんど、実感が沸かない。
ここが、ポイントかもしれない。
女の視点で見てみると、やはり、もう少し違うかも知れない。


来週は、「居残り佐平次」。